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あ や ま り 堂 日 記

みなみやま】(2004/06-12)(2005/01-07)(2005/08

セカイ系と純愛(再考)2005/10/31

 どう説明したら分かりやすいかということは考えずに書くと、昨日、早朝割引で映画「蝉しぐれ」を見るために、毎週欠かさずに見ていた「セイザーX」を録画しようとして地上波デジタルの番組表から見つけたので録画しておいた総集編ともいえる30分の番組ガイド「交響詩篇エウレカセブン 緊急特番ナビゲーション ray=out」を、見た。
 この「エウレカセブン」というやつは、絵がきれいなことと、題名がわたくし好みだったので、前から見たかったものの、毎週見るという長丁場に耐えられそうに無かったので見ていなかったものである。
 それで。
 この作品も「セカイ系」と呼ぶことは可能だと、感じたのである。
 とはいえ、この作品を「セカイ系」と呼ばれる作品群として捉えることが出来るものの、主人公以外にも揺れ動く人々という外部世界が描かれているし、またエヴァンゲリオンのように主人公が他者を拒んでしまう、という展開でもなさそうなので、「世界に主人公だけ」というセカイ系のわたくしの定義は間違っているかも……なんて思わないでも、なかった。
 ここで考え直してみたら、少なくとも、セカイ系に於ては、本筋(地球を守る、とか)に関係のない、主人公の心理へ焦点を当てている、ということが言えそうだ、と思った。
 このときに、外部との関係構築を経て成長する、という過程を取らず、主人公が何事かを経験するという一事で何らかの心理的変動を得る、という展開を取る場合、「セカイ系」と分類できるのではないだろうか。 時々、「戦争ってそういうものなのさ」というように脇役が慰めてくれるのは、主人公の内心へ何かの変化をもたらすというより、事態を肯定あるいは追体験させるだけ、ということになるのかもしれない。
 つまり、本筋(地球を守る)に於いて、そこでは物語技巧上はぼちぼちで構わない主人公の揺れる心理を過剰に描き込もうとして、結局、外部との関係性の中での主人公、という像が描けなくなっているのが、セカイ系、ということなのではなかろうか。
 ……意味の分からないことを書いている。
 ともかく「世界の中で主人公一人だけ」というわたくしの捉え方は、特に間違ってはいないらしい、と自分を肯定して、けれど、古典的な恋愛もの、に於ける主人公のあり方はどのような描かれようをしているのか、ということが気になって、今度、どうだろう、「若きウェルテルの悩み」なんてものを再読してみようか。 あれは、確か、翻訳文がたいそう悪くて読みにくかったが、主人公が女を思って一人でモンモンし続ける、という話ではなかったからしら。
 友人の忠告や社会の制約を排除して、相手のことをただ思い続ける……そういう古典的恋愛と、セカイ系恋愛の違い……わたくしのセカイ系についての捉え方ではどうも不足しているかもしれない、なんて思うのである。

もうひとつ事はじめ 2005/10/27

 絵は、とうとう二日坊主にはならずに済んで、辛うじて、三日坊主を突破できそうなのであるが、まあ、今週末に市立図書館で石川五右衛門調べをしてぼちぼち小説を再開するつもりなので、それ以降、なに坊主になるかはわからない。
 しかばね働きの昼休みにおいて、以前、放送大学の「哲学入門」を制覇した、と日記に書いた。
 本日からは、同じく放送大学教材「仏教思想」をはじめたのである。
 例のごとく、大学で講義を受けている感覚で、教科書文のノートを取る、という方法。まあ、半年くらいで終わるだろう。
 放送大学教科書は、学問の領域が実にきれいに整っているから、別に深くもなんともなくて味気ないが、体系立てて学ぶことができるのが、良い。
 そういえば、今思いついたのだが、「全体を体系立てて見つめる」という方法は、絵を始めたお蔭で学べたことでもある。 つまり放送大学勉強は、私にとって、実は、絵と通じていた!
 などというのは、あまりにもこじつけである。

絵、はじめました 2005/10/26

 せっかく小説を、少しの間だろうが、書かないと決めたこの頃なので、絵の勉強をすることにした。
 画才が欲しいとは、自己紹介ページにも書いているとおり、ずっと思っていたことで、思い立ったら吉日なんて気分で、この間の小説印刷で誤字・脱字のため失敗した裏白紙を使って描き始めた。
 この挙げ句に一体どんなものが描けたのか、スキャナがあるとおもしろかったんだが、まあ、携帯写真で、ここへ載せたら気分がいいかもしれない。
 最初に描いたのは、ディープインパクト&武豊。
 どういうわけかというと、ちょうど目に付いた新聞の一面に写真が載っていたから、という単純きわまりない理由なんだが、どうせ画才欠如のわたくしなので何だっていいや、と思って、丹念に、写真のすぐとなりに紙を置いて、忠実に、忠実に、忠実に、と心がけて描いてみた。
 その結果、まずまず馬になったのだが、忠実に、忠実に、忠実にと念じ続けていたのに、馬の頭の角度だとか、騎手武豊さんの体の傾きなどが、写真と違っている。 あそこまで忠実に、なぞるような気分で描いたのに、どうしてだ、と不思議だった。
 これを、ただ画才の欠如、という理由で蓋をしてしまうんじゃなくて、わたくしの性質を考えるきっかけにしたいのである。
 つまり、目移りしやすい、ということか?
 そんなことを思いながら、馬に続いて描いたのは、コンクリート住宅内部のドアと柱で、これをまた忠実に、鉛筆を使って角度を測りながら描いたのだが、挙げ句、二つの物体が乖離してしまうことになった。 これは途中で放棄した。
 続いて挑んだのは、住まいの台所部分で、これを、隣の人に教えられて「一点透視」というか「遠近法」というやつで描いてみた。
 そうしたら。
 格段にうまくなったのである(失笑しないでください)。
 紙に斜めの線を入れて、中心点をつくって、そこを基準に、まずは全体を大まかに描いてゆく。 この方法をとれば、丹念に描いて行ったのに位置関係が狂った、ということがなくなる(哀れまないでください)。
 位置関係を最初に決めて、それから丹念に描いて行くという方法は、画才欠如のわたくしにすれば、目から鱗が落ちる思いだったのである(だから失笑しないでください)。
 こう考えると、わたくしはこれまで、一つのことに延々と注目して、それから徐々に、近隣へ移ってゆく、という方法をとっていたということになる。
 この描き方が、果たして画才欠如の素人に共通するのかどうなのかは別として、ひょっとすると、わたくしの小説の書き方にも共通していたのかもしれない、と思った。  基本の流れをつくって、そのあらすじに徐々に肉付けして最終的に一つの作品に仕上げる、という作法で長編を書こうとして、この一年間は挫折し続けていたわけで、それと作画方法は共通なのかもしれない。 そういえば、馬を描くときも、まず騎手を描いて、馬脚を一本ずつ丹念に描いて、尻尾を描いて……と、とにかくバラバラにして描いていたのだった。
 とりあえず、全体から徐々に細部へ入るという絵画技法が、わたくしには、とにかく新鮮なので、もうしばらく、絵の勉強をしてみることにする。 三日の坊主になるかもしれないが。
 次は、敵討ち資料をあさっている途中で見つけたおもしろげない素材、「石川五右衛門」を書こうじゃないか、なんて思い始めているのである。

送付して弛緩、あと「ほしのこえ」 2005/10/24

 昨日の日曜日に配達記録で送付。 そうしたら何だか、ふわ〜っと気が抜けてしまった。 前のものを送りつけて以来、一年も延々と首を傾げつつけていたファンタジー長編なので、無事に完成原稿を送れたことは大げさに言えば、感無量である。
 さて小説を意識しない夜というのは、まことに久しぶりだった昨晩。 レンタルDVDで、前から気になっていた「ほしのこえ」という短編アニメ映画を観た。
「セカイ系」とくくられるジャンルの一つの頂点といわれる作品で、期待と不安と反発を感じつつ、観たところ、不思議な感動に包まれた。 物語としては、破綻しきっていて、矛盾だらけなのだが、どういうわけか、切なくて泣きそうになってしまったのである。 余韻があとを引き続けて、寝る前に、布団の中でこれについて考え続けたほどで、確かに、これが自主制作であるという点もあり、或る一つの頂点なんだと感心した。
 とはいえ、主人公以外がスッパリ欠落しているし、そのため矛盾だらけで、物語としては素人小説並なのである。
 どうしてここまで感動するんだろう……と、不思議でならなかったが、「主人公二人以外がスッパル欠落している」ゆえに、当の二人のつながりが意志に反して薄くなって行くのは、まことに切ない。 そしてこの切なさが、要するに、この短編の成功の要因なんだろうと、今朝ふと思った。
 社会的な他者とのつながりを完全に排除して、ただ、一対一の関係だけにこだわり続ける、という物語。 そしてそれを成功させるてしまう物語。 恐れ入った。 こんな方法があるのか。
 とはいえ短編ならではの方法であると思われるので、同じ監督が、資金と人材を手に入れてつくった長編「雲のむこう、約束の場所」が、どのようなものなのか、まことに気になる。 レンタルしてあるので、近々観る。

書き終わった長編と二十五 2005/10/17

 書き終わったのは先週の木曜日。
 幸い満足行くものができたので、ぼちぼち名前を「山口二十五」と変更しようと思う……と、今ここで書いてみたら、直木三十五とすごく似ていて、何だかたいそう怖いので、二十四にとどめようかとも思ったけれど、しかしやっぱり変更しよう。  もうとっくに25歳なのである。
 ところで、先週は「昨年と同じ20日締切のところ」と書いたし、実際、20日前に送付するつもりでいたわけだが、よくよく要項を見ると締切が10月25日とあって、なあんだ、もう一度週末があるんじゃないかと、驚き、且つ和むことができた。 逆じゃなくて良かった。
 そして例のごとく、読み直しを始めたわけだが、もう今回は懲りているので、「思いきり変えることはしない!」と決めて、スラスラと誤字脱字、変換ミスに気をつけるだけにした。 それでも、気になるところは多くて、躁鬱状態を繰り返す危険な精神状況へと自らを追い込むこととなっているのだが、まあ、それが楽しいのだろうと言われたら、そうだ楽しいのだ、と答えられるから、よしとする。
 こうなると、ボチボチ次の長編の仕度ということになるのだが、コハルとヨージロウの「悪霊退散!」にするか、幕末弘前藩の敵討ちにするか、決めかねている。 後者は資料が揃うかどうか、だし、また気合をどの程度入れるか、という違いがあるのだが、いずれにせよ、次は時代劇である。
 今回、特に最後の書き直しについて考えれば、ほとんど、一ヶ月で200枚を書ききったという計算になる(実際は、現在のところ190枚ほどで、規定に足りていないが)。 どちらを先に書くにせよ、片方を書いている最中にもう一方に飽きてくる、という事態には至らないくらいの速度で、一本書けるに違いない。 いろいろ気をつけつつ、丁寧に、そしてものすごい早さで書きたい。
 ところで短編の、猫耳メイドバトルなんだが……なんか、飽きてきちゃった。

 ……と、思いながら書き続けたら、書き切れた。 満足だ。

あと十日を切ったナツメグ+シフォン 2005/10/11

 昨年と同様の、20日締切のところへ応募しようという長編が、あと一章もしくは二章を残すだけとなった。
 と、誇るのではなく、この時点で、まだ一章ないし二章分が終っていない、と焦っているのである。
 一年間、というより昨年以前から引き続いて丸々三年近く悶えていたものを、先月に思いきって最初から書き直すという勢いで書き始めたのである。 一ヶ月で書ききろうなんて、困難に決まっていた……が、辛うじて、読み返す時間があるかどうかはともかく、書ききれそうなのである。 満足感とともに。
 そして、この書き直し地獄の果てに、何となく、てあるのだが、「おもしろい小説の書き方」が分かってきた気がする。 どこをどう展開させればよいのか、ということを常に意識して、その結果、何度となく挫けたわけだが、ようやく「書く方法」が見えてきたようなのである……もちろん、読み返してみたら前言撤回、という恐れはあるが。
 ともかく、今回の長編も、おそらく、大賞は取れない。 そいつは、分かる。 全体的に文章がバタバタしているのだ。 けれど、おもしろい小説のためにはどういうところを書き足せばいいのかが分かってきた以上、一作ごとに「おもしろさ」を高めて行くことができるに違いない(願望だが)。
 いずれにせよ、今は気分が昂揚しているのである。
 昂揚が過ぎて、女性の名前を呼ぼうとして「ナツメグ」が真っ先に頭に出てくるようでは、病気である。

無益なこと 2005/10/6

 無益なことといえば、マスコミを考えることである。TV番組を考える。
 昨今、やたらとTVに登場している連中が増えて、特に今は2時間、3時間の「スペシャル」ものが新聞のTV欄を占拠しているので、鬱陶しいを通り越して哀れなほど大量の人々が掻き集められている。 だが、だいたいそういうのはおもしろくないので、やめた方がいい。 船頭多くして船山に登る、ではないが、単体ではおもしろい連中が、蝟集すると途端にやかましいだけになる。 
 せっかくクレヨンしんちゃんだとか声変りのドラえもんを潰して特番を放映するのであるし、半期に一度せっかく巡ってくる特番の時間なのだから、NHKスペシャルを超越するような気迫のドキュメントをつくって、マスコミの自負としたらいいだろうに。 どうせ、掻き集めた出演者への支払いに見合うだけの視聴率は取れていないのだろう。
 NHK連ドラ。
 このごろ視聴率が取れないのは、暗い話ばかりだから、というのは、ある。 底抜けに明るかった「ちゅらさん」なんかが、好評だったのと対照的である。 時代は、暗い話を求めていないというわけだろう。 これは要するに、脚本家の無能だ。
 もう一つ強く感じるのは、どうしてこうも毎度毎度、若い女を主役に持ってくるのだろうか、ということ。 演技がまともに取れる若い女など少ない上、どうせ視聴者にはおばさんが多いと考えられるのだから、主婦を主役にしたって良かろう。
 この前終了した「ファイト」において、役者の実年齢はともかく、主人公の母親は、外見が若すぎて主人公ファイトちゃんの母親として気持ち悪いほどだった。 けれど見方を変えて、そういう、一昔前のアイドルで、まだまだきれいな人は多いのであるから、そういう人を主役にしたらどうなんだろう。 演技も多少、人生経験を経ているので、ましであろう。 それを主役にすれば「きれいな奥さん」に憧れる、醜きババアどもは多いと思われるゆえ、共感と憧憬を呼ぶのではないだろうか。
 けなげな若いヒロインが逆境にめげずに励む、というのはもはや飽きられている。
 誰を視聴者として想定するのかを明確化する必要がある。 自分たちで韓流ブームなるものをババアたちに押しつけることに成功したNHKが、どうしてそれをしないのか理解に苦しむ。
 というような、益のないことを考えて、今日のあやまり堂日記とする。

続ナツメグ+シフォンと、メイドバトルのこと 2005/10/5 

 ナツメグ+シフォンは、今月20日の締切に向けて、ほとんど作者発狂の勢いで、書き継がれている。
 「宮本武蔵」「剣難女難」等を座右(現実には座左だが)に置いたことで最後の勢いを取り戻せたわけである。 もっとも、疾走している途中で後ろを振り返ることはないので、振り返ってみたらヘドロの海にあった、ということになるかもしれない。 そうでないことを、切に祈る。
 ゴルゴン・ゾーラ、がいい。 ゴルゴンという癖のある人物が書けたのである。
「ここで偶然ナツメグに逢えたことで、俺は運命ってやつを、少し信じた」
 これを、ほぼ初対面の相手に言える人物が造形できて、わたくしはランナーズ・ハイを獲得した。
 メイドバトルは、実際にバトルが始まったのだが、ここで、結末のつけようがないんじゃねえかと困惑してしまった。 いや、ここらで主人公を使えばいいのか。 そうすると、短編という目標から少々外れるかもしれないが、まあ、気にしない。
 ところでこのごろ、VIPに、はまった。 間もなくわたくしも、VIPPERかもしれない。
 意味が分からない人は幸いだが、たぶんここの稀少な読者には、もちろん承知されているにちがいない。というより、稀少な読者が、そもそもVIPPERだろう。 それがVIPクオリティなのだから。

ナツメグ+シフォンと、メイドバトルのこと 2005/9/29

 少々日記の間隔が開いた。 先週はずっと青森へ行っていたのである。
 ナツメグ+シフォンは、やっぱり、どうにも不満で、昨年と同じところへ出すにしろもう一ヶ月しかなく、これで出してもせいぜい一時突破で終わってしまう、成長してねえ、との考えから放棄しようか、どうしようか迷い悶えていた。 どうにか形にして送りつけるか、最初から書き直すか。
 結局、どうにか形にするという方針にしたのだが、それでも大幅に変えなくては気が済まない。
 それで。
 窮しまくった挙げ句、傍らに吉川英治「宮本武蔵」「鳴門秘帖」「剣難女難」を置いてみることにした。 これを鑑として、物語運び、文章運びを考えることにしたのである。
 そうしたら。
 歯がみして頭をくしゃくしゃにしたくなるほど、先生の小説が、うまいのである。 同じ日本語、同じ「小説」という媒体とは思えないほど、すばらしい。 これまでも何度も読み、一部を書き写したりもして、先生からはいろいろ学び取ってそれを生かしてきたはずなのに、わたくし自身の書き方に対して、まさか、おいおい、え、何これ、と毎分、あきれてしまう。
 読むときにいつも、人物がどうしてここまで生き生きとしているのか、と不思議になっていたのだが、それは、会話文と地の文の双方がすぐれているから……と、どこがどうすぐれているのかを言葉で表現するとそれが一面的になって悪いことになりそうだから、ただすばらしいと言うしかないのではないか、と思われるほど。
 いずれ、先生の方法が的確に表現できるようになるのかもしれないが、今はただ、学び取るしかないのだと確信した。
 一方の、猫耳メイドさん超能力バトル。
 こちらは時間を忘れて書きまくれているような内容で、やはり予定通り十月はじめに、書ききれそう。 当然、ナツメグ+シフォンで学び取ったことが即座に反映されるものである。 学んだことを即座に反映させ、実践する。 我ながら、すぐれた学習方法だと思う。
 10月20日が、ナツメグ+シフォンの、締切である(書ききれるなら)。
 うまく書ききったなら、メイドさんバトルもあるし、名前を「山口二十五」で、送りつけててみよう。

選挙祭のあとと小説のこと 2005/9/14

 選挙祭りが近年にない盛り上がりを見せてくれて、あちこちでおもしろかった、おもしろかった、という感想が飛び出ている。
 わたくしとしては、低能丸出しの文言を乱舞させていた民主党がボロ負けしたことで溜飲が下がった思いなのだが、同時に、人間の性として「幾ら何でも自民は勝ちすぎだ。くそ、共産あたりに入れてやればよかった」なんて思いにもなる。
 こういう嫉妬めいた感想は、けっこう多くの人が抱くようで、「内閣支持率61%、過半数が“勝ち過ぎ”…読売調査」などというニュースがあった。 率直に言えば、みんな下種なのである。
 これは「解散すれば自民は苦労する」とか「自民、民主接戦」なんて言い続けていたマスメディア戦術のお陰なんだろう。 選挙期間は「公平に」報道しなきゃならなかったこともあるだろうし、それ以前に朝日新聞だとかテレビ朝日だとかは露骨に民主党贔屓だったものだから、それのお陰で、郵政問題で首相へ好感を持っていた人々に判官贔屓が加わって、民主党の完敗が演出されたということらしい。
 そして窮した民主党が今度は誰を担ぐのか、という競馬が始まったが、出走馬のひどいこと、ひどいこと。よっぽど人がいないらしい。
 小沢一郎を担いで、国民新党と新党日本を吸収するか。いつの間にか出来上がる、The・族議員党。

 さて。
 如何なる場合でも、小説の構想が頭に浮かぶと幸福になる。
 以前ここで書こうといった、「超能力を持った猫耳メイドのバトル」という話を、ようやく書けるんじゃないかと思って、ひそかにワクワクしている。
  来週は丸々と青森旅行するので、完成はたぶん10月になるだろうが、少なくともわたくしだけは、楽しめる一編になると思われる。 とりあえず、バトル(カタカナ書きしているので、軽薄かつ派手な、という含意)、が書きたいので、それを目指す。
 一方の、ナツメグ+シフォンについては、アイス・カフェ・ド・アレキサンダーと叔父ハンスの登場で、非常に良くなっている。 この二人が明確な生存の動機を持って現れたことで、シフォン+ナツメグの生存の動機も明瞭になって行き、物語に活気が出た。
 この二人に意図などなく、むしろ場当たり的な脇役という想定だったが、場当たり的に思いついた設定をぶちこんでいる結果として明瞭な人物造形が達成されつつあるのは、まことによろしい。 
 ひょっとすると、今までの短編は、場当たり的に与えた細かな人物設定が功を奏していたからこそ、自画自賛できるものが書けていたんじゃないだろうか。
 最初から意図しまくっていたものは、破綻しやすいかもしれない。 というより、想像力が足りていないのだろう。 少なくとも、書くべき設定が網羅できないのと同時に、無用な設定に拘泥しすぎることは、ある。

都知事の談 2005/9/6


 ※ この日の文章、ちょっと気になる。ゆえに誤りが含まれていると思われる(一週間後の感)。

 産経新聞朝刊に毎月最初の月曜に掲載される、石原慎太郎はんの随筆がある。
 今回は、靖国神社参拝のことであって、石原はんは、毎年参拝するがA級戦犯が合祀されたのには不満がある、ということを述べていた。
 どういうわけかというと、一途に国のためを思って死んでしまった兵士たちには、素直に頭を下げねばならないが、その一途な人たちを無謀・無策な作戦で見殺しにした上層部を評価しようとは思えない、そうである。
 朝日新聞やら中国やら韓国がギャアギャア騒いでいるからという理由で、日本人は参拝するべきだ、というような心情が無かったとはいえないわたくしとしては、なるほど、そういう見方もある、と感心した。
 わたくしの引用方法が悪くて随筆が誤解されてしまっては困るのでもう少し書くと、東京裁判の正当性は疑問であるが、少なくとも、馬鹿な作戦を立てた責任を誰が取るのかという点はないがしろにしてはいけない、という論だった。 そういう意味での「戦争責任」というのは、論じられなくてはならない、と。
 石原はんは、毎年の参拝では、馬鹿な作戦を立てた連中に対しては、顔をそむけるような気持になっている、のだそうな。 戦争をした責任、なんていう朝日新聞が好きそうな抽象的な理由ではなく、戦争中の阿呆な作戦で、少なくとも今のわたくしより遙かに立派だった青年たちを見殺しにした責任。 確かに、重大である。
 そんな彼の随筆のおかげで、「戦争責任」議論を聞くたびにモヤモヤするのが、少しだけ晴れた感。
 もっとも、各作戦、個別事案の失敗の責任、なんてものは、いつの時代も満足に取られるものではないのだ。 それが官僚制ってわけでね。

本日の不快と、それは別に価値のないことだから小説のこと 2005/9/5

 先月末に、屍ばたらきの翻訳課題で、ビチ糞のような日本語に悶絶しそうになっている、ということを書いた。 で本日、あまり先延ばしも出来ないので、ぼちぼちと古い翻訳ソフトを使いつつ、訳し始めたのだが、腐敗ウンコは、嘲笑を遙かに通り越して憎悪を呼んだ。 そういう次第なので、晒す。

 帰国留学生同窓会設立準備会議の開催について
 目的
 留学生のそれぞれの母国において同窓会を立ち上げ、同窓生ネットワークを構築する。これを基礎として、アジア地域におけるインターナショナルなネットワークを作る。
 趣旨
 この同窓生のネットワークによって、帰国留学生のフォロー・アップをより実効性のあるものにし、卒業生の現在と将来における活動を支援する。さらに、このネットワークを通じて、本学とあるいは相互の産学連携を推進し、技術教育・研究のアジアにおける相互支援の基盤を形成して行きたい。
 ******大学に在籍した後、母国で活躍する留学生は700名を超えているが、現在、その後の連絡先、活動状況がなかなか把握しにくい状況である。国ごとに帰国留学生一人一人が参加するネットワークを整え、更に国ごとのネットワークをより大きなネットワークとして形作っていき、お互い手を携えてそれぞれの国の発展に少しでも貢献できることを目指す。
 この帰国留学生同窓会立ち上げのため、中国、韓国をのぞき、帰国留学生の多い6つの国から1名ずつ集まってもらい、ネットワーク作りの方法、有り方等について意見交換をしたい。
なお、******大学も来年(平成18年)には創立30周年を迎え、記念事業も計画しているが、帰国留学生の参加についても意見交換をおこないたい。

 わたくしばかりか稀少なあやまり堂読者の日本語能力を抹殺しかねない、恐怖の汚文。 あやまり堂読者には、これがどういう文章で、どういう目的で使われようとしているのかが承知できなくとも、わたくしに目眩、吐気、憎悪のミックスジュースが出来上がっていることくらい、理解してもらえるんじゃないだろうか。
 丁寧に批判してやろう。
 まず、表現が繰り返しになっている箇所が多すぎて、しかも具体的要素が皆無である。 抽象的すぎてどうしたらいいのかわからない。 自分で書いた言葉の意味を理解しているのかを疑うし、主語、述語が不明瞭すぎて文章の展開自体を把握できない。 
 どこをどう修正したらいいのかといえば、もう一度最初から、文字にする以前の問題で、何をどうしたいのかを考え直せ!
 英訳作業を為すと、この文章の腐敗はいっそう際立つ。 何せ英語は、主語、述語、目的語が明瞭でなければ、うまく作文できないのである。 わたくしの屍ばたらき課のドンは、まったく英語の喋れない五十くらいのオッサンだが、その人生五十年を費やした上記文章。 哀れでさえある。 そして、これが、日本の教育政策、国語教育を考えるべき文部科学省の人間なのであるから、殺意すら覚える。
 結局、適当に訳して、大学の英語教員に、日本語原文付きで、添削を頼むことにする。願わくば、そ奴が、「ここどういう意味ですか、というより、全体的によくわからないんですが」と、ドン・屍に尋ねてくれることを。

 さて、人生の価値ある小説のことなを。
 ナツメグ+シフォンは、最初に脇役一人を追加する。 アイス・ド・カフェ・アレキンダーを登場させて、すべての展開を容易にする。
 週末、結末部分で困りきっていた挙句、ああ、もう! と、最初から書き直すくらいの意気込みになって展開をすべて分解・把握し、各章ごとの意義をはっきりさせることをしてみたのである。 そうしたら、ネット掲載部分を融合させた第一章・第二章が不要だということが判然とし、そのかわりに、アイスの登場を持ってきた方が、ずっと、読者に親切になる、と気づいた。
 小説全体の構造を考え、各展開の持つ意義をはっきりと意識すること。そして、その或る展開に至るためには、先行的に如何なる展開があるべきか、を検討しなくてはならない。
 再び、当たり前のことのような、前にも書いた気がしないでもないような、発見である。

 ネットニュース 2005/09/02

 どうでもいいことながら、「万博のゴンドラでAV撮影 テレビ会社社員ら書類送検 」というニュースがあった。 「視聴者が愛知万博協会に問い合わせて発覚した」らしいが、視聴者が問い合わせた???

 さて、選挙である。
 悪口ばかり書いたって仕方ないのだが、ふと思いつきで、社民党のホームページが見たくなって、どうせなら各党見物してやれ、という意気込みで、サーフィンしてみる。 普段なら、政党のホームページなんて、エロサイトにリンクが貼られていたというおもしろ情報でも無ければ見るわけがないところだが、せっかくの選挙祭なので、踊る阿呆を見る阿呆となって、仮想現実へ出かけてみる。
 検索ワード「社民党」。 
 さっそく踏み込むと、そのショボさに唖然。
 あ、いや、別に、格別にしょぼいわけではない。 当みなみやまページより、よっぽど豪勢である。 けれど表層だけには金をジャブジャブ使う民主党のページと比較すると、金の無いことがわかって哀れである。
 ……言い方が悪かった。 手作り感に満ちているのだ。
 けれどそれゆえ、お得意のマニヘフォのページなど、いっそう辛い……白黒て……目次リンクもないし、わたくしの贅言ページより……シンプルで美しい!
 では、ということで、共産党。……パチもん? 何か……頭のよろしくない大人の描く、子供だまし、という感。

 ひょっとして、政党ホームページを見較べるってのは、めちゃめちゃ楽しいことなんじゃないだろうか。 政策の詳細については「どこも馬鹿である」という前提を崩さずに、各党を見物して回ると、これは、それぞれの気質・風土・根性・知性・趣味・態度……そこらへんがすべて見て取れるではないか。
 おお。 そして、ページの詳細を見て行けば、おそらくもっと楽しい発見が見つかるに違いない! 何せ、政治というのは、前にも書いたが、どういうわけだか、各人各様の狂信ぶりを示すものであるから、ある種、露骨なのである。 (露骨という点では、同人世界と通じる!)

 ということで、新党日本。
 ……ホームページなんか、あるのか? という思いで、検索。 あった。
 なるほど、アドレスの名前も、各党さまざまやね。 新党日本なんて、http://www.love-nippon.com/ だってさ。 馬鹿? で、基本的にわたくし、田中脂夫が嫌いなので、ハッタリだけのページからは早速退散する。
 次は、えっと、郵便局が大好きな党……って、名前……そうだ、国民新党。 検索。 http://www.kokumin.biz/。 コクミン、ドット、ビズ……ビズ?
 とりあえず、政党の略称を、「国民」というふうにしたいらしい。 そのためなのか、「国民新党の約束」というページへのリンクバナーが「国民の約束」になっていて、意味がわからない。
 で、自民は、こちら。 ……青いが……どこかチグハグな感じがあるのは、ほかと同じ。 だが、上の政党に比べると、良い意味でも悪い意味でも、特徴に欠ける気がする。 
 公明党
 ……ややや、ホームページとしては、ここが一番いいんじゃねえか? 政治家のデカデカとした汚い顔を持ってきているわけでもないし……などと、こんなことを書いているからといって、わたくしが創価学会の犬だと思われては心外である。 単なる、見た目の問題を書いている。
 年々拡大している公明党には、わたくし、心底恐怖しているので、ホームページ・デザインがまともだということには、いっそう恐怖感が募ってくる。 背後の巨大宗教組織が巨大になるためには、多くの人の心をつかまなくてはならない。 そういう点で、外見的な正常性、好感度を与える作りは、間違いなく重要であって、ホームページの正常性も、また、しかりである。
 どこから見てもひどい顔の党首を全面に持ってきて、金だけはかけている悪趣味なページを得意になって運営しているうちに、宗教結社がジワジワ伸張しているではないか……恐怖だ、これは!
 日本的な、適当な、場当たり的な政治が乱れるのは、歴史的に見て、狂信に支えられたときなのである。 


みなみやま入口