あやまり堂日記

みなみやま




 紅白歌合戦  2004年12月31日    
  
 わたくし、紅白歌合戦が好きです。
 今年は、ジョン・健・ヌッツォと気志団が個人的に大当り。
 特にヌッツォは、かっこえかった!

 新年も、よろしくね、みなさま。
  


  大掃除の序  2004年12月30日    
  
 さあて、ようやく大掃除だなんて始めたのに、本棚と雑物棚ひとつ整理しただけで時間が過ぎてしまった。
 棚の整理の中で、大昔の小説やら漫画(ずっと昔には漫画らしきものを書いていたことがある)が発見されて、思わず読み返したりして時間が。
 ナツメグ+シフォンのファンタジー長編の前に挑戦していた最初のファンタジー長編(未完)が見つかって、キャラクター設定も見つかったのはありがたかった。
 主人公がコーデイ、ヒロインにエミノ、ルッコラ、悪役にケベス・レティス兄弟(キャベツとレタスかと思われる)などなど、せっかくなので今の新ファンタジーに登場させるなり、この最初のファンタジーを書き直すなりしたいと思った。
 ずいぶん前から本棚が溢れている状態で(半分は漫画である)、百円ショップで売られている、漫画本が20冊くらい入る整理袋に詰め込んで、それを押入れに押し入れるようにしていたのだが、それも限界を迎えていた。で、この大掃除で、本棚の本に「平積み」作戦を適用して辛うじて場所を確保。そういうことをしていたら、大掃除もできやしない。
 なので仕方ないから、明日も掃除。
 そして一夜飾り。

 あと、本日CDを借りてきた。
 OrangeRange 「musiQ」
 Asian Kung-fu Generation 「ソルフィ」
 モーニング娘「ベスト2」
 No Doubt 「Singles 1992-2003」
 奇妙な選曲かもしれない、なんて思いながら一日が過ぎてしまう。
  



  睡魔  2004年12月24日  
  
 わたくし、どうしても11時くらいには寝ないと、翌日をものすごく不満足に過ごす羽目になってしまう。
 社会人ばたらきで6時過ぎに起きねばならないこの頃であろうが、休日で、今日みたいに1時だっちゅうのに思わずBBCラジオにGeorge Michaelが登場してるってんで聞き始めてしまった日……朝はのんびり寝ていられる翌日であろうが、11時までに寝られない場合は、翌日はきっと一日、半死状態で過ごすことになる。
 夜更し・徹夜ができる人がうらやましい。
 小説を書かねばならないのである……さもなくば朽木となって枯死するかその前に自壊するほかない。
 時間をこしらえるには、どうしたって睡眠時間を削るほかない。それのみが、社会人ばたらきの浪費(要するにこいつなのであるが、金のため仕方ない)のほかに削ることのできる時間である。しかし、11時に眠らねば、翌日不愉快な一日となり、下手をすると小説が書けない。
 窮した挙句、
「朝5時に起きる」作戦を案出、これをまず翌日が休みという一昨日、そして今日実行してみた(ウダウダしてて5時キッカリに起きれやしなかったが)。
 そしたら存外平気で、小説もウキウキするほど書ける……もっとも、30分やそこらの時間である。ちょうど気分が乗ってきたところで、朝ご飯、死にに行かねばならないのだが、まあそこは諦めるしかない……朽木より、まし、と観念するしかない。
 朝晩を小説で挟む。
 苦肉の策だが、挟むことで、生きている感覚が返ってくる。
  

  年賀状  2004年12月21日    
  
 社会人ばたらき相手のは差込印刷で済ませるとして、さて少ないわたくしの友だちには……と、去年の、というか今年の正月に届いた年賀状をあさってみたところ、
 あれ、おい、まて……なんなんだ、これは……。
 というくらい、無いのである。
 いや、あるには、あった。だが、少ない。
 幾らわたくしに友だちが少ないからといっても、その前の年、前の前の年よりもずっと少ないので、さすがに首をかしげた。
 はて、どこへやってしまったのだろう。
 母者人に聞いてみても、あたしゃ預かってないよう……そりゃそうだ、預けていない。
 で。
 今年の正月は、喪中でした。
 祖母が亡うなって、ついこの前一周忌。
 それをすっかり忘却していたらしい。
 なんのことだ……とホッとすると同時に、祖母が亡くなっての一年が、何だか、早いような遅いような、まったくもって不思議な時間感覚にさせられた。
 その間、東欧へも行き社会人ばたらきに自殺し、長編を書き……あ、これだけか?  



  ちっとも  2004年12月20日    
  
 長編2。
 冒頭の冒頭を書いたあたりで、止まっている。
 理由は、いろいろあって何、とも言いがたいが、ここ数日は、年賀状をこしらえねば、の念がある。今日は親のご要望分を印刷した。今年からPC印刷なのである……去年まではプリントゴッコだった。
 小説、16日に書いた分から、ちっとも進んでいないのだが、なんだ書かないのはまだ四日か。
 長編なんてのは、書き始めがもっとも楽しいもので、だからだいたい書き出したら行き詰まるところまでぶっ飛ばすネット小説家が多いのだ(ネット連載なんてものをしていたりすると、第4回くらいまでかな?? それでもまだ序章だったりする……で、行き詰まったら打開できずに才能の限界を嘆いて、しかたないから才能の不足を肯定・自己弁護するために何かエッセイを書くか、主人公たちを殺すのだ。……なんだと、俺はそんなことしない!)
 わたくしだって、最初の一行が決まったのちの書きだしは気持よいから、疾走ぎみになるのが常なので、それゆえに、たった4日書かないばかりでも、ずっと書いていないような気になっている。
 まあ、何だかわけのわからないことを言っているのだけれど、自分に言っていることはだいたいこのようにぼやぼやしている。
 何にせよ、頭に浮んでいる登場人物と、じっくり、向き合って参りますよ。
 ナツメグ+シフォンほどの愛着が生じたら、儲けだ。
  

  寒くなりました  2004年12月17日    
  
 だいぶ寒い。
 そのおかげで、小説の書き出し、山間の小都市……冬場、の絵になりやすいからホッとする。
 が、書きあがるのは春先だろうなあ……。
 ちなみにわたくし、今まで、書きあがる時季、を年頭に季節を設定することが多かった。
 長編ナツメグ+シフォンを書き始めたのは4月で、大きく訂正を加えたのが夏ごろだったかとおもう、書き出しを初冬にしたのは夏のさかりやった。
 ところで、今回の、山間の小都市・冬、は、もちろん冬の高野山町を思い出して書いているものである。
    

  人々  2004年12月16日    
  
 それでは、並べます。

 ワイナリー
 ナムル
 ルッコラ
 ホタル
 ベリエ・ド・リラダン
 黒鴉のカタス
 ヤノシュ公
 パラガス軍曹
 シシトウ王子
 アイス・カフェ・ド・アレキサンダー
 グーナ、ゴーリ兄弟
 カイライ
 リンネ
 シシカバブ隊長

 ほとんどやけくそですね、とか言うな!
 上から主人公、親友、ヒロイン1、ヒロイン2、脇、敵役、ほか、です。
 今から、書き始めますので、なにかご希望がある方は、どうぞ。
  


  書くぞう  2004年12月14日    
  
 いいかげん、書くぞう、と思いつめているのに、時計を見ると、あらこんな時間、ってんで、あやまり堂を書いて一日が済んでしまう。
 とはいえこういうウダウダのときに、ちょびちょびと筋が組み立てられて行くわけで、よいやら悪いやらはわからない。
 以前、長編作法で、私のこれまでの「すべてを把握してから、書く」という短編的技法は、長編には不向きじゃ、と思うて、贅言かここにか書いたのだが、いやいや待てよ、長編とはいえそれで良いのではないかと、このごろ思い直している。それが、わたくしの書き方かもしれないと。

 いずれにせよ、何でもよい。
 そろそろ書き出したい。
 だが、誰か、登場人物の名前を、顔を、考えてください。  


 ……誰かって、そりゃあんたしかいないのよ、たかのッつァん!。
  



  最終戦争  2004年12月12日    
  
 ゴジラをみた。
 映画館の、お得ポイントが貯まって、ただで観ることができたためである。
 一人で観たわけだが、まわりにはチビッコたちが大勢いて、けれどチラホラと、小太り、めがね、黒髪サラサラという男一人、また大学生コンビなどもあって、安心してみることができた。
 まあ、当然、「しょぼい」わけであるが、まあ小理屈をひねるべきものでもない、「お祭り」と監督がどこかに書いていたとおり、お祭り気分を堪能できた。
 主役たちが、いかにも大根+イモってのは、北村龍平監督のいつものことで、逆に、半狂乱の悪役がものすごく素敵なのも、いつものことであった。
 あちこちで評価の高い北村監督は、うえと、しゃく、今回の松岡+菊川れい+ケイン・コスギ、というふうに、主役級にしょぼすぎる選択をする反面、あずみの場合はオダギリジョー、今回では北村一輝というふうに、敵役を、たいそう魅力的な選択にする。おかしなものだと思う……誰かアドバイスしたらいいのに。

 映画ついでに、ほんの一週間ほど前に、「ハウルの動く城」を見た。
 良い。まことに良い。
 私の感覚では、宮崎アニメで一番である。
 だいぶお年寄の宮崎監督であるが、これから亡くならはるまでに、完成された娯楽を続けてくださるんじゃねえかと思って、幸せな気分になった。

 ちなみに写真は、来場記念品。うれしかった。
  


  違和感退治(習字教室編)  2004年12月10日    
  
 ピアノ教室と違い、それほど嫌いだったわけではない、習字教室。
 それにもかかわらず、それほど上達しないうちにやめてしまったのは、何故だろう……と、今になって、ふと、考えてみた。
 で。
 書く対象が、くだらなかったからではないだろうか。
 むろん、当時、こんな考えが浮んだわけもなく、ただ、闇雲に、次々と示される手本のまま、「大空」だとか「大きな夢」「初日の出」「希望」などと書き写していたのであるが、これが実に、今になって高らかに言えることなのであるが、
 つまらんッ! くだらんッ! 浅薄ッ!
 なのであって、それゆえに私の身につかなかったし、周りの多くも、習字の時間は上手だが……というような人ばかりになった所以の、大きなところではないだろうか。
 そう思いついたら、これが真実のように思われてきたので、断言する。
 もちろん鉛筆書きだって同じだ。「お元気ですか、寒くなってきましたね」……はァ?
 だいいち、おかしいではないか。
 習字教室、学校の習字の時間で、正座して背筋を伸ばして、神経を集中させて、そして手本を凝っと見、ムムム……と、カッチリカッチリ何度も何度も書いた言葉であるのはずだのに、それがちっとも思い出せないのである。
 心に残らない言葉を一生懸命に習わせたところで、つまりは心に残らないのであるから、何の足しにもならないではないか。

 なに、習字は、字を習うのだから、きれいに書けるようになったらそれでいいじゃねえかって?
 けッ、それこそ、バカにすんな! と唾を吐きつけたくなる意見だ。
 いいじゃねえか、論語の一節を教えても。
 いいじゃねえか、漢詩の一行でも教えろよ。
 なにが、「初日の出」だ。バカにしやがって。
 「火の用心」……? へいへい、これをクラス全員に書かせて、どうだってんだ。
 バカにするな……いや、バカにされつづけていたのであった。
 畜生、今になって気付くとは!  
 


 
  「クリスマス・プレゼント」余話追伸  2004年12月09日    
  
 結末の書き方について。
 どうも、告白そのものの場面、というやつを、私は書きたくない。
「恋愛模様」の番外編でも同じように、「以下は書くまでもない」なんて、した。
 知らないから書けないんだろう、と言われたらそれまでだが、だいたい、漫画だろうが小説だろうが、この「告白場面」を読んで、ガッカリしなかったことがないのである。 私だけの症状かもしれないし、そうでないかもしれない。
 ともかく、これをつらつら考えるに、一つは、個人(主人公)のドキドキに較べて、読者のドキドキが遠くはるかに及ばないから、それでどうもガッカリするのではないか、と。 もしくは、告白しようとしている人物のドキドキと、作者のドキドキとの距離。

 それから、恋愛でもっとも楽しい時期は、「相手は自分のことをどう思ってるんだろ??」と、“好意的に”ドキドキしていられる時期に違いなく、また恋愛小説の本質がそこの過程を描くことにある限り、思い・好意が双方向になることを結末に持って来ては、本質から逸れてしまうのではないか……なんて、これは今思いついたことなんだけど。
 けれど、だいたい、幸せなカップルを傍から見物していたっておもしろくもないようなもので、主人公がどうなんだろ、好きなのかな、ちょっとくらい自分のことを思っていないかな、と相手についてとりとめもなく思案している状況、これがおもしろい。

 あ、今、さらに思いついた。
 ドッキドキの主人公を描いていて、最後に、
「僕も、好きです」なんて回答を付け加えるとする。
 ここで、根本的に、主人公(つまり読者)は疑問を感じるに違いないのである。
「本当に?」「どのくらい?」などと。
 この時に……おっと、この文章は長くなるぞ。 だいじょうぶか? ……この時に、「好き」との回答を、主人公(読者)が満足するに足る価値に持ってくるためには、回答する相手の心情を熟知させていなくてはならない。
 だが、そこには他者の壁、バカの壁があるのである。
 つまり、告白の返事として、今までずっと主人公(仮に、女)に寄り添っていた読者に、不意に、他者(男)の内心を呈示することになるのだが、これが、違和感のもととなるのは、他者理解の不可能性というやつで、明らかである。
「好き」という告白は、このごろ思うのだが、どうやら、普段はバカの壁で守られているような内心を、剥き出しにして晒す行為であるらしい。 ゆえに、恥ずかしい。
 つまり、
「好きです、僕も」
 なんていう、モロだしの内心(それは、しかし、わからない他人のものなのである)いきなり、しかも最後の最後に持って来られた日には、読者としては、どうしたって戸惑いが生じてしまうに違いないのである。
 今まで「わからないもの」として、あれこれ相手の気持を推理していたのに、いきなり最後にポンと露骨なやつが出てくる……これでよいのか。
 こんなのを、小説として成功させるには、少なくとも、男女双方の感情を描き、描きこんで、交互にまた同時に描きながら最後に一統させるという、神業のような技術が必要となる。 無論、それだけの長編にしなくてはならない。

 それで、手っ取り早いのは、最後に、「あ、念願が叶う……叶うよ!」というドッキドキの確信……事実にはしない、その辺りで終える、言ってみれば「余韻技法」をかますことである。
 無論、にやけまくりながら、最高の気分……そして、読者(主人公)にしてみれば、もう少しで欲しかった言葉が聞けるのだから、「ああ、もう少し!」と、これまた作者冥利につきる感想を与えることができる次第。

 とはいえ、以上のことは、すべて「あとづけ」であります。
 


  
  そろそろ  2004年12月07日    
  
 そろそろ長編が書きたくなってきた。
 やはりファンタジーで、ナツメグ+シフォンを、より激しくおもしろい形で書き直したい……書き直すというより、新たな人物として、活躍させたくなってきた。
 前回の反省をあれこれふまえて、より楽しいものにする……おそらく作者たるわたくしがもっと苦しく、もっと楽しいもの、というやつにしたい。
 よって、今度は、賞に届くことを目標とする。
 このことを、とうとう、ハッキリ抱くようになってしまった。 今までは、賞なんてのは単なる願望であったわけで、それを今度は、実力で至るのだ、と。
 すなわちこれから長編に挑むとなると、自分の才能への確信という、おそらく小説業でもっとも厄介な感情との格闘も含まれるようになる。
 楽しく、苦しい……、あはは、楽しみ楽しみ。

 で、どのくらいで書き始めることになるか、そいつはわからない。
 春に豊橋への引越しがあるが、その後かとも思う。 いずれにせよ、そろそろ、挑みどきと、自覚が日々大きくなっている。
  


  
  3日つづけて  2004年12月06日    
  
 12月に入って、日記題名に「クリスマス」が並んでいる。
 カタカナ嫌いのわたくしにしてみれば、珍妙しごく。
 仕方ないので、みなさまのご希望に沿って、「クリスマス・プレゼント(E風)」というのを、こしらえてみようか……以下は、ひどい内容になるので、わたくしをあまり知らない方は、打ち捨てた方が無難です……が、わたくしをあまり知らないような方がこれを読むはずがないので、気にせずに書きます。

 上に書いたような、みなさまのご希望なんて、実際はわたくしの内面の下品な部分がワクワクしているだけで、この「E風」というのは、エロゲー風、の意である。
 主人公を男にして、周囲をやや見下しぎみ。 雑学と賢いのを勘違い、運動は苦手だが、スポーツマンを、「体力バカ」もしくは「筋肉ゴリラ」として軽蔑する。 なお、軽蔑の表層をちょいと剥せば、そこに肉体的弱者のコンプレックス。
 一方の女は、幼い頃にとりあえずひどい虐待を受けて他人を拒む淋しがりや、やたら男を知らないという設定にする色情魔などにする。 なお、この男を知らない色情魔にはバリエーションが二つあり、一つは年下で主人公にやたらからんでくるもので、亜種に正義感の強い、胸の小さな女もある。 もう一つは、なぜか実家が巫女もしくは良家のお嬢様。 後者の場合には、高飛車バージョンも可能である。
 ちなみに、もちろん、プレゼントの象徴するのは、女の裸である。
 決めの台詞が、そうなる。

 ……なんだ、この日記は。
  


 
  「クリスマス・プレゼント」余談  2004年12月05日    
  
 作後贅言。
 「恋愛模様 佐々木理香」だとか、「海が遠くに見えた町」といった恋愛ものの流れ。
 意欲や、意気込みは、どちらにも及ばないが、だいぶ慣れてきたようにも思う。
 慣れは、良いことなのか、悪いことなのか。

 今回は、細部の描写、書き込みにはあまり気を使わなかった。無くても、こういうもので重要なのは人物であって、小道具は蛇足になりがちではないか、という考えからである。そのために、12月の寒さ、を付け加えるのを忘れてしまったのは、まあ、愛嬌。
 構想は一ヶ月くらいか。 でも書いたのは、直接PC入力で、昨日、今日の二日仕上げ。何とかなるようだ。
 なお、題名は、二節くらい書き進んだところでスンナリ決まったが、案の一つに、
「クマ太郎始末」というのがあった。 別にこれでも良いようにも、個人的には思ったが、カタカナの方がクリスマスらしいと思ったので、熊太郎始末は、やめにした。
 ひねりのないものを、という全体。
 そういう意味では、単なる小品だが、まずまずの出来となった、と感じる。
  


 
  クリスマス小説  2004年12月04日    
  
 というわけで、昨日の日記に書いたような、クリスマス短編。
 こいつを載せることが出来そうです。
 題名は「クリスマス・プレゼント」でして、まったくの恋愛短編です。
 これを中心に、ページの「冬更新」を、明日あたりに、行えるのではないかと思う。

 いや〜、本当、久しぶりの小説だな。
 ナツメグ+シフォンは、訂正に延々時間がかかっていたわけだし、まったく新しいやつを書くなんて、何ヶ月ぶりやろ?
 あまったるい結末部分はまだ書いていないのだが、途中でも実に気分がいいや。
 主人公の名は、雪奈。 冬っぽい名前……という発想。
  



  クリスマス小説、案だけ  2004年12月03日    
  
◇クリスマス小説を書こうと思った。
 だが、じゅうぶんに気合が乗る前に、クリスマスを越えそうである。
 運が良いと、今週末に書けるが、無理かもしれない。
 主人公は女ですから、あまい話。

 別段、大げさな話ではないし全体が頭にあるから、すぐに書けるのだが、あまったるやつなので、気が乗らないと、完全放棄となる。

 いろいろ、統一感のない小説ジャンルを書く人だなと、我ながら。
 一つに定めた方が良いと一方の声には、いや、結局は一つに向っている、と一方の声。


  
11月おわり。  2004年11月29日    
  
◇ 見ると、続けて書けたのが数えるほどしかない、あやまり堂。
 今日が今月最後かもしれないと思って、11月について。
 ……。
 日記の題名を見ると、時代劇を始めようとして、中断して、社会人ばたらきの出張があり、そしてシフォン+ナツメグに顔向けできて、月末、こんな感じか。

 こうして、強いてでも時間の経過したることを意識せぬと、何だかこのままくたばって果てそうな恐怖に包まれてしまう。
 大塚愛のHappy Daysを聞いて、やけくそのハイテンションになったりする、昨日、今日。
  


 
  脱力しちまうしかないじゃないか、まったく、やれやれ。  2004年11月25日    
  
◇ たいそう甘い基準で、ありがとう。
 そういう感じで、只今、ナツメグ+シフォンの長編が、無事、一次通過を果たしたことを確認いたしました。
 お閑な方は、集英社のホームページをご覧下さい。
 間違えようのないやつが、見つかるはずです。
 二次の結果の出る12月下旬には消えてしまう可能性が高いので、期間限定です。

 よかった、本当によかった、ああよかった。
 ああ、本当に、よかった。ああ〜〜〜よかった。

 書き終わった感触、また自分の現在の筆力の自覚では、大賞は行けない、しかし1次は通る、というものであったので、それが誤りでなかったことが、何より喜ばしい。今になって何を言うか、というお方は、過去の日記文をご確認あれ。
 一次通過作品は160らしく、かなり多い。下読みは、「課題の応募作品のうち、半分だけ落せ」とでもいう指示を受けていたのかもしれない。いずれにせよ、かなり甘い基準であろうが、応募の半分は「読めねえよ」ってんで、蹴散らされたわけで、ナツメグ+シフォンが蹴散らされずに済んで、よかった。本当によかった。ああ〜〜〜よかった。

 なお、二次以降は、順当に通るとは思っていません。これ以上は、進まないでしょう。
 ……落ちた時のために早くも言い訳かよ、と言われようが、こいつはほとんど確信なので(そりゃ、宝くじみたいな「願望」はある)、まあ、今はこの安堵の脱力にひたらせてください。

◇ ところで、さすが、通過作品。
 ズラリと並べられた題名・作者名だけで、かなり楽しめるので、お閑な方には一読をおすすめします。
 題名・作者名をざっと見た限り、みな熱心なライトノベル読者のようであって、少なくともわたくしのような者などいないようである。いたら、文通したい。

 そんな適当な感想が出る。
 ともかく、脱力……ああ、ああ〜〜〜〜〜よかった。
  


  
  読書感想文  2004年11月22日    
  
◇ 父の読み終わりの文庫で、適当に処分してくれ、と言われていた、堺屋太一「俯き加減の男の肖像」なるブ厚いのを、読んだ。
 私の感想を分類するなら、優・良・可・駄・憎、の5段階で、本日は、滅多に出ない「憎」が出たので、あやまり堂に記すことにした。
 まず「歴史経済小説」などとうたって、江戸中期、「元禄バブル崩壊」を時代背景としていたが、元禄末〜享保年間どころか、江戸時代っぽい風物、すら感じられなかった。当時の逸話のいくつかを並べ立てて誤魔化しているのではないかと疑われたくらいである。
 また、登場人物がすべて薄く、つくりもので、彼らが生きている、という感じを与えず、誰一人からも魅力を感じることが出来なかった。致命的に、主人公がそれであった。したがって、人間関係も少しもない。
 まさか、これ駄本か……と最初の1ページで感じた恐怖は、文庫本700ページというブ厚さを見て、憎悪に変わった。

 以上、不愉快のはけ口としての、あやまり堂日記本日分おわり。

 追伸、以前にもこの作者の別の小説を読んだことがあるが、それは「駄」であった。
  


  雲仙高級ホテル記  2004年11月21日    
  
◇ 昨日まで、長崎・雲仙。
 滞在したのが、皇太子ご夫妻がいらしたというほどの高級旅館で、その点だけは、社会人ばたらき出張のおかげであったが、宿・温泉地雲仙を満喫できないだけに、連日の不快感を増したと言うこともできる。
 宿にこもって丸一日の学会、というわけであったため、事務の補助など初日の受け付けが忙しいくらいなもので、発表会が始まれば退屈至極となり、といって外出が出来ないので、仕方なく、ホテルの従業員の方と退屈な会話をしていた。
 ホテルの従業員は、年寄りか若い人か、と見えて、中年層の働き手がほとんど無かった。このことを、宴会に専属した一人に聞いてみたら、
「ははあ、そのとおりで、みんなさっさと止めて行くのですよ」
 その従業員は、高卒の新人ということで、大卒新人の私と近い身分、また会場につきっきりだがやることは無い、という事務下っ端の私と同じ勤務状況だったので、よく喋った。
「同期で入った人も、3、4人は辞めている」ようで、
 従業員はだいたい住み込みで、近くの寮に住んでいるようなのだが、
「休みは月に7日、勤務時間は朝7時〜12時、休憩4時間、4時〜8時、これが早番で、遅番では、11時から10時まで」なんだそうだ。
「それじゃあ、多少は給料、いい?」と問うと、
「いやいやいや! とんでもない!」
 と激しく首を振った。
「残業手当がほとんどつかない! 絶対に割に合わない!」そうで、
「僕もあと1年か2年で、辞めますよ」と、きっと本心を語ってくれた。

 ちなみに、その宿には、たかの楠によく似た人がいて、80人の、一般世間を知らない大学教員オッサンどもが宴会でヤンヤと盛り上がっている中を、眉間にしわを寄せながら、大きなお盆を抱えてセカセカと動き回っていた。
 上の従業員ほどは喋っていないのだが、やはり夜11時まで働き、7時から出勤、というひどい環境にピリピリしていた。
 そのピリピリ・セカセカぶりが、人生を放棄しているようなババ仲居がノソノソ動く間にあって、よく目立った。
 背丈も、たかの程だったし、ピリピリぶりも、よくよく、たかのを想起させる人であった。

 なお、この伝統ある高級旅館は、それでも、赤字・黒字のギリギリにあるようで、上の従業員によると、この11月の成績次第で、年度の決算が済ませられるかが決まるらしい。きれいな宿だったが、老朽と呼べるお湯ポットがあったり、外壁の隅が古びていたり、改めて言うまでも無いが、たいへんである。

 先の従業員談によると、さすが硫黄泉の温泉地。
 ホテルの機械がすぐに悪くなるんだそうだ。携帯電話も一年で駄目になるようだし、車の故障も多いとか。
 そんなところの、高級旅館。
 従業員も、経営者も、実に困難なものである。
  


  今日から  2004年11月18日    
  
◇さあて、出発の前に、駅までのバスの時間を調べておくか……と名鉄バス検索をしたところ、乗ろうと思うていた空港バスが、道路工事のため運休しておって大慌て。
 まあ、電車+別の空港バスで行けるようだから、死にはしない……こうして日記をつけるくらいな余裕はある。
 さあてオッサンどもを眺めに出張るべかな。
  


  
  明日から  2004年11月17日    
  
◇明日から、長崎へ出張。
 先月東京へ行ったばかりだが。
 今回は、ちなみに、気ままに遊ぶ余裕が無い模様。
 オッサン連中の会合の手伝いというわけなんだが、
 わざわざ長崎くんだりで会合を開催する意味が無いのは、言うまでも無い。
 ボンクラどもの考えだ、そこから金を得ねばならぬのだから、文句を言っても為すすべはない。 ひたすら、己の心が腐らないよう踏ん留ることに熱中する。
  

  
  RPGツクール  2004年11月15日    
  
◇ ナツメグ+シフォンの小説にかかりきりになる前にちょいとやっていた、RPGツクールを再び起動してみた。
 主人公のぽん太少年が、のんびり日常を送る、というそれだけの話の、最初の町をつくったところで、終わっている。飽きたらしい。
 それをもう少しいじって、5000訪問者記念に、近いうちにダウンロードできるようにします。
  

  いちならび  2004年11月11日    
  
◇ 時代を中断したおかげでのんびりしている。
 このおかげというわけでもなく、たまたま時期が重なったに過ぎないのだろうけど、並行して読んでいた本がすべて読み終わる。
 バスの待ち時間にひと詩とか、寝る前に一夜、一章というようにノロノロ読んでいたもの。
 岩波文庫の陶淵明詩集上巻、千夜一夜物語一巻、日本の歴史十六、岩波講座文学6。
 いずれについても何かくっちゃべりたいのだが、あやまり堂日記にふさわしくなさそう……「岩波講座文学」についてのみ少々。

 これ、時代が違いすぎる。
 どう違うかというと、ちょいと語りがたいが、
 文学の行くべき先は、世界すべてを描く「全体小説」だ!
 というような熱狂の時代の、「学術的一冊」だから、今のわたくしが読んで得るものが無い。
 
 まず、「全体小説」という幻想、こいつが破綻しているっていうのは、大江さんの小説が売れなくなったことが証拠になると思うが、要するに、全体小説ってのは「政治イデオロギー」の押し売りをやっていた。
 大学闘争あたりの、さかしらで実際には頭の悪い学生時代の連中には好まれただろうが、今ではうるさい馬鹿どものたわごとにしか聞こえない。

 ※さかしらで実際には頭の悪い連中……好例が、マスコミで正義の主張をしている知識人たち。

 それで、結局、文学が、個人の煩悶の昇華という純文学作用がいつのまにかイデオロギー文章の巻き添えで瀕死になり、読者の興味をかきたてるという大衆文学作用は漫画に譲られたかと思ったがどうもうまく譲渡されていなくて(少年漫画は成功したが)、全体として文学が沈滞。
 ……と、こういう解釈も出来るのう、などと思った、「岩波講座文学6」の読了。ちなみに、全部で12冊あって、ようやく半分である。いよいよ読むのがいやになる。
  


 
  時代中断  2004年11月09日    
  
◇ わたくしのみなみやまページ、ちょうど私が5000番目の訪問者となったわけだが、
 ここらで毎年末に向けての恒例だった時代小説を中断してみる。
 たしか、このホームページを設けた頃も時代劇を書いていた気がするが、大学4年続けたやつを、やめる。
 理由は簡単、今書いてもあまり学べないから。
 そんなふうに、心にゆとりが出たところで、ゆっくりと鳴門秘帖を読み返しはじめる。
 ノッケから、感心しきり。
 小説ってやつは、こんなふうに書くのか! と。

 というわけで、本年は、ナツメグとシフォンに費やされた一年、とまとめられそう。

 で、たかのの絵はどこまで進んだのだろうか……。
  


  
  二日目  2004年11月04日    
  
◇ 本日は、菊江が登場。
 ここまでは、頭に浮んでいた「冒頭部分」なんだが、さてこれからどうするか……。
  

  
  書きはじめ  2004年11月03日    
  
◇ 時代劇開始。
 今度は、「ヘンナナマエ」と言われないで済むように考えてみた……
 主人公・青柳
 恋相手・桜
 憎い仇役・幸伽羅
 変な人・押松
 その他、未確定

 ちなみに、男には「丸」が付いたり付かなかったりして、女には「子」が付いたり付かなかったりする。
 なお、押松は、実在の人物です。
  


  
  さむらいの月  2004年11月01日    
  
◇ 月のうちに31日まで無い月を、
「西向く侍」とか言ったりするけれど(2に、4し、6む、9く、さむらい)、
 あれは、お侍が2本棒を差してるから、というので、11が侍なのだろうと思うていたが、
 今ふと思えば、あれは「十一」だ。
 縦書きだから「士」で「十と一」だったのかなと首をひねりはじめた。
 誰か、ご存知の方は教えてください。
 2、4、6、9、11が短い月というのは西洋暦だから、「二本棒」でも「士」でも、この暗記方法の由来はこれだ、と言われたら頷いてしまいそう。

 この「西向く侍」という覚え方を誰から聞いたのかは忘れたが、
「何で、さむらいなの?」という疑問が生じたところから、この暗記方法は、覚えられた。
 リーベー水兵僕の船……とかいう暗記方法は、つまらなくて駄目だった。
 それから、暗記方法ついでで思い出したのは、
「太平洋と大西洋の書き方」
 ……太平洋はふとくて、大西洋はおおきいのだが、これは小学校の時に、
「太平洋の、太、の点は、ハワイだ!」と叫んで大笑いされ半泣きになっていた人のおかげで、覚えることが出来た。私は、こやつを大馬鹿にして嘲笑った一人だが、馬鹿にしたことで覚えた。
 ひどい話である。

 何を言いたいのだろう、この日記は。
 何にせよ、今月がさむらいの月であるとは縁起がいい。
 幸いに水曜は旗日である(この「旗日」という言い方を聞かなくなった)。
 頭のなかでまとまりはじめた鎌倉時代を、書き始めよう。


  
東京日記  2004年10月30日    
  
◇ 水〜土と四日間、東京に滞在。
 宿泊したのが「山谷のドヤ街」にある、1泊3000円の宿。
 存外快適であった。
 三畳一間、TV・冷蔵庫つき、風呂トイレ共同、バスタオル・タオル・浴衣あり。
 山谷のドヤ街にある宿のなかでは、一番高級な宿なだけに、設備も立派ですな……ほかに、1ベッド1500円とか、1700円個室、という張り紙もあった。
 遊びに行ったわけではなく、3日間の社会人ばたらき研修でした。

 初日……
 岡崎を出て浜松で新幹線乗り換え、昼に東京着、そのまま研修会場の代々木へ。
 研修終了後に「情報交換会」というウザッテー立食パーティに参加。5000円をふんだくられる。これは出張費ではないのである。旅中一番の金の無駄になった。
 一口の情報も交換せずにソクササと逃げて、ドヤ街で寝る。

 二日目……
 朝食は駅前の立ち食いそば。うまくない。
 午前研修。内容はもちろん記憶に無い。
 昼食は代々木のラーメン屋。油。
 午後研修。内容はもちろん記憶に無い。
 5時に終って、駆け足で逃げて新宿、都庁を見物。
 東京都民のことをあれこれ仕事するのだろうが、それにしてもでかい。
 新宿のビル群はおそろしいような威容で、窓すべてで行うべき仕事があるってのが、不思議なような気になった。
 そのまま歌舞伎町へ。
 建物ごとそれぞれが近隣を顧みずに小洒落ているので、派手派手なのに冷たさがあった。
 そして、チラホラと韓国文字、簡易漢字が見えていた。
 人件費安い女の輸入→その国の食事文化への需要という構造で、街の「国際化」があるらしい。
 別に安売り女を求めていたわけではないので、歌舞伎町のそば屋で、きじ丼定食900円と冷酒600円。 これが大当り。

 三日目……
 あと半日で終わるのだと言い聞かせて研修。
 内容はもちろん記憶に無い。
 ともかく研修「修了証書」を手に入れて神田を目指す。
 古書捜索。
 そしたら、「年に一度の神田古書まつり」であったので、フィーバーしてしまった。
 買いすぎ。重すぎ。肩痛い。
 それなのに発狂したみたいに秋葉原まで歩き、そこで晩を食べ、宿に戻る。

 四日目……30日土曜。
 あいにく雨。
 宿を出て東京駅コインロッカーに荷物を詰め込み、日本橋へ。
 コレド日本橋なる新しいところへ行ったところ、しょぼくて唖然。
 土曜の昼飯時なのに並ぶことも無く、カツカレーを喰う。
 それから三越日本橋本店。
 百貨店売上日本一、という最強の小売業へ初めて足を踏み入れたところ、これが驚いた驚いた。自分がいかに田舎者かと呆れるなんて面倒なことはせず、高級品、絶対買える身になってやる! とフィーバーしながら、美術品を見物。
 例えば日展で見たような彫刻、絵画などの美術品。
 そこに値札があるから驚き、\1,000,000を軽く突破しているから頷けたが驚き、そしてそこに「売約済」とあったりするからさらに驚き、あわわあわわ。
 その後、KLAS時代の人らと巣鴨。
 巣鴨が存外「普通の商店街」だったのにガッカリ。もなかは絶品。
 巣鴨で時間がつぶれなかったので、KLAS時代の人の案内で日暮里の「シャレースイスミニ」なる店で茶。
 レザン村出身の店主なんだそうな。
 茶の後はKLAS時代の人の宅へ押しかけ、何もないので屁をこいて戻る。
 そして新幹線。
   


 
  読み終わり  2004年10月21日    
  
◇ 本日、「承久記」関連を読み終わり。
 岩波の古典文学全集「保元・平治・承久」の軍記もの集の一部だけなんだが、まあそれでお茶を濁す。
 「承久記」の定本、異本、そして吾妻鏡の該当部分を読んだんだが、その順番で読むのが困難になって行くのが、一人エツに入ることを誘う。
 定本は、「普通の古典」で、まあ、読みやすい。(こいつを読む前に、鴎外のバリバリ文語で頭を鍛えたおかげだろう)
 で、異本は、原文そのままの、漢字+片仮名。
 要スルニ、斯ノ如クナル文章、是ヲ読ム。
 そろそろ苦しくなったところで、最後の止めの吾妻鏡が、漢文。
 承久記の参考資料扱いだから仕方ないのだが、レ点、一、二点を頼りに、おおざっぱに読んだ。
 如斯雖威張。必要者。人々之心情。而被読飛箇所甚多。(かくのごとく威張るといえども、必要は人々の心情、而して読み飛ばされる箇所甚だ多し。漢文適当)

 あと、風俗をちょいと見たら、書き始める。
 要するに、時間が無いのである。
 非才の分際で、慌しく書いたものが実りあるものになるわけがないだろうに……という天からの声は聞こえません。

 今夜の月は、半ばだが名月。
 


  
  視点  2004年10月19日    
  
◇ ヨタ話。
 野球解説者や時事解説者、要するにマスコミ人間、加えて浅薄学者といった方々の発言が、だいたい腹立たしいのは何故かと思うていたわけだが、「独断を普遍化させようとしている言い回し」にあるようだと、“ワタクシは”感じた。
 てめえの思想なんざどうでもいい、学問の成果だけを述べろ、と、歴史学術書などでしょっちゅう感じるのだが、これなどもやはり、こちらの思想と反することを述べくさられるから鬱陶しくなるので、ヨッコラセと引っ張れば、チャイやらチョウがこちらの歴史観にケチをつけるその口ぶりが気持悪いのも当然になり、こちらの政治屋が足らない知恵を振り回して言い訳するのが相手に伝わらないのも、仕方ないことになる。
 ここで、鼻毛ボーボーの時事解説者が、対話を続けるべしもしくは向うの言い分に従うべしと言い出しそうだが、結局は、理解など出来ようはずがない。小さな対人関係にしたって、大きな対国関係にしたって、環境を異にする者――他者が、互いの心中を理解できるはずはない。仕組みとして備わっていないのだ。顧慮、思いやり――これなども結局「わたくし」が基準になっているのだから、限界がある(ワタクシの卒論だな、こりゃ)。
 そもそも、日本とチャイチョウとが、「お互いに理解しあって友好的だった」という国交を結んでいた時代なんてあったやろうか? あと、小さな対人関係が「お互いを理解しあって真に友好的であった」という時代なんてあったか? なお小村の共同体、夫婦の一心同体論、これは「他者」に含まないぞ(これも卒論じゃ)。 

 で、「お互いを理解しあって友好的」な過去?
 無い。断じて無い。
 必要なら結び、不要なら絶つ。それでええやないか。
 注意:「絶つ」とは、戦争ではないぞ。
 引き篭もり? 鎖国?
 生きて行けるなら、まったく否定することではない。
 むしろ、外からの雑音がなくなるので心がおだやかになるに違いない。
 斯くありたい……くせに、こうしてネットで他者依存を示しているあたり、あじきない。
  



  生きるも死ぬも  2004年10月18日    
  
◇ 親戚筋で、先ごろご内儀を失ったばかりの酒好きのおっちゃんが、入院したらしい。
 実に不幸続きで、間もなく私の祖母の一周忌、というときにもかかわらず、である。
 おっちゃん、入院先は二軒目らしいのだが、最初の病院では原因がわからなんだそうな。
 しかし原因なぞわかりきったことで、ご内儀を失ったことまさにそれで、それがために生きる意欲を欠いてしまって病気に、といったところであろう。
 痛ましいと思うが、中高年の自殺というのは、結局上のごとく、積極的に死のうとせずとも病み衰えることも含まれよう。
 生きる意欲の欠如というほかない。
 恋女房と暮す、これのみで充分に生きる意欲は生ずるだろうが、これを欠いた場合には何が意欲とやならん。
 私にしてみたって、小説書かないなら自殺した方が容易であると、ほとんど毎日思うている。
 生きる甲斐の無い人は、日々死を生きるに変らず。
 死を生きる――死ぬ。同義とやならん。

◇ 人に迷惑をかける故、残った家族が悲しむ故。
 そんなものは大した足かせにはなるまい。
 まして、生きていればそのうちいいこともあるよ。
 そんなことばなど慰めには到底及ばず。

◇ 死ぬも生きるも、というようなことを考えるとき、私の心は時代劇に向う。
 過去、人が如何に生きたか。如何に生きるべきとて生きたか。
 そうだ、時代小説だ。
 ネットやってる場合じゃない、「承久記」を読まねば!
 


 
  時代劇開始  2004年10月17日    
  
◇ 昨日、206枚+少々の印刷を完了し、そのまま早々に、応募締め切り近くであるし、時代劇対策を開始する。
 小説の書き方、あれこれ手間取りすぎている面があり、今回は、手書き→PC入力→読み返し→完成原稿、のみにしたい。
 それから、また力の入れ方の間違い、空回りの挙句返り討ち、というあたりも、そろそろ訂正して行くべし。
 承久三年九月九日の大炊殿焼失から書き起こして、あれこれやってみよう。
  

  
  あと30ページ  2004年10月13日    
  
◇ ちッ……今日で完成すると思いきや。

◇ ところで今朝。
 早朝5:50頃に、JR東海道本線の大府〜共和間で人身事故があったらしく、
 それから延々JRは不通。
 いつものごとく社会人ばたらきに出掛けるワタクシは、当然その不通に引っかかり、
「あらあら」
 と思うて鴎外の「即興詩人」を半睡状態で読んでいたんだが、結局、名古屋鉄道の振り替え輸送で、豊橋へ。
 このおかげで、1時間の遅刻となったのだが、うまうまと「延着証明書」を獲得したので、本日の1時間の遅刻は「特別休暇1時間」扱い。
 のんびりした1時間。
 きっと人生に倦んだお人が、早朝、きっと仕事・学校始まりのラッシュを乱してやろうと企んで、最後の「反社会的行為」のために飛び込んだかと思われる(適当な推測)。
 迷惑した人も多かろうが、ワタクシは、あわれな傷心マンに同情し、しかもなかなか読み進まなかった「即興詩人」を或る程度読ませてくれたことに感謝する。

 それにしても、最後の反社会的行為、
「くそ社会め、これでも喰らえ!」
 とばかりに命をくれないに散らせた傷心マン……所詮半日、列車の時刻を乱せたに過ぎない。
 あわれと思う……せめて、見知らぬ傷心マンに感謝を込めて南無阿弥陀仏。
 全然推測違い、散歩の途中の迷子の死などだったら、それはそれで南無阿弥陀仏。
  



  残り3分の1  2004年10月12日    
  
◇ あと少し。
 いや〜長かった。
 そして、やっぱりこの期に及んでも、こうすればよかった、ああすればよかった、と次々に出てくる。
 この後悔あるいは反省が尽きるところまでは、延々と、幾度落ちようが書きまくる心なんだが、
 今日読み返したうち、2、3の行で、
「あ、なるほどこれだ!」
 というスッキリ文章に訂正することがでけた。
 日本語だから主語はうまく省き、且つ不要な装飾も省き、そのあとでさらに頭に入りやすい語の並べ方をする……。
 ナンダコンナコトカと、ここに書きつけたワタクシからしてガッカリしているので、あやまり堂のお客人には物足りないに違いない台詞だろうが、いやはや、実際にはわからないもの。
 ……こうなると、徐々に、サラサラ書けるワープロ文章の弊害が顕著になって来てしまう。
 ほら、「顕著になって来てしまう」なんてワープロ文字を踊らせたが、「顕著になってしまう」だけでワタクシ好みの文章は達せられる。もっと省いたって良い。

 まだまだ、まだまだ。
 


  
  息抜きがいけなかった  2004年10月11日    
  
◇ 今日で、最終的な完成にたどり着くはずが、
 「よし、息抜き」と、「虹色とうがらし」を読み始めたのがいけなかった。
 ハラハラするうちにどうしても読みきりたくなって、結局完成したのは3分の1どまり。

 ……そういえば、朝目覚めたのが10時半だったのも、いけなかった。
 いや、それが一番か。

 今日は、蒸し暑かった。
 残暑、という時期ではなくなった気がすつので、何と言うべきだろう?
  


  
  といってまたファンタジー長編のこと  2004年10月09日  
  
◇ 応募原稿を、誤字脱字が無いかを確認しながら最後まで印刷した。
 そしたら、この厚さ。さすが206枚。
 なにやらビロビロしているフセンは、すべて訂正すべき箇所である。
 この訂正も苦労材料やね。

 ところで、この期に及んで、ふと思い立ったので、漫画原作の小説、要するにキャラクター小説の中でもとびきり各設定の描写を必要としないものを、チラリと眺めてみたんだが……
 いやいや、これはまあ、びっくりするほどひどい文章……と感じたのでもはや今回の挑戦は敗北濃厚となったんやが、まあ、よい時期に「模範とするべき文章」を眺められた。
 今後の落選の報でも全然懲りそうにないので、得たものすべて、次作に生かすとする。
  


  
  そろそろ違う話題を  2004年10月08日    
  
◇ 長編ファンタジーばかりが人生ではない、というような意気込みで、たまには違う話題をあやまり堂に。
 で、年間に向けての時代小説なんですが。

 大学の図書館から「承久記」を借りてきて、こいつをまずは読んでみる。
 といっても、承久の変という巨大な出来事はまだ抱えきれないので、描くのは承久の変後。
 江戸時代を借景したような時代劇時代小説は、ワタクシの趣味から離れつつある。
 まあ、いつもながら手におえないことを書いて、いつもながら返り討ちに斬殺されるのことになるだろうが、今のうちは、鼻血を止めぬ勢いでぶつかってみる。

◇ 先日、ネットをさまよううちにネットライトノベリストの頁へ至って、その人の曰く、
「まあ、私はプロ作家をあきらめたわけですが云々」と。
 そのくせ、着実に連載小説などといって更新していたんで、
「おやおや、どうしてあきらめるなんて言うんだ?」とニヤニヤしていたら、
 或る人に、
「いや、あんたはどうしてあきらめないんだ」
 といわれてしまった。

◇ というわけで、五度目の挑戦(我ながら笑える)たる時代小説。
 承久の変後の、勝者敗者がはっきりしている時代。
 間もなく投稿完了の長編ファンタジーの後は、当分この話題で、あやまり堂日記は続くと思われます。


 
  また長編のことですが・・・  2004年10月06日    
  
◇長編がどこまで来たとか、どのくらい手直しが出来たとか……
 気ままに当あやまり堂を訪れる方々も、
「おいまたその話かよ。おめえの日記も芸がないなあ」
 と、仰るに違いない。
 私のこの認識……今ごろ気付いたのか! とツッコミが入るかもしれない。
 けれど。
 日々、それでございます。
 今日は、12章までの完成原稿点検。
 ……これからもう少しやるから14章くらいまで行けるかな。
 アイヴィとシロノワールが血みどろになる場面まで、点検終了と行けそう。
 ちなみにアイヴィとは、ミンチ肉に対応する、あいびき肉から発生しました。

◇うまく行くと、三連休で「完成・送付」となりそうです。
 本日は秋晴れ。いい天気でござった。
  


  ようやく  2004年10月04日    
  
◇ようやく昨日。
 完成して、送付原稿たる印刷物に誤字脱字が無いかを確認していた折、ようやく、
「あ、ここの下り、丸々不要じゃねえか」
 と気付けた。
 部誌に掲載した一部でもあるんだが、部誌掲載時にも、そこに違和感を覚えていたんだが、ようやく、「丸々蛇足」という、違和感の正体を見破れた。
 応募してから気付くよりは、ずっといい。
 400字原稿用紙にして、5枚くらい、これが完全な蛇足だとは。
 一度書いてしまうと「せっかく書いたんだし」という情が出てしまうし、「ここの文章は、まあ悪くない……前後がおかしいんだが、まあ修正できるさ」といった感じで、違和感が放置されてしまう←「されてしまう」と言ったのは、なかなか自覚できないからである。
 覚えた違和感は、完全に退治するべし……完全にという意味は、数行をいじることを言うのではない、ズバッと、もっと大きなところから眺めて、皆殺しにしろ、粉砕だ!
 ……と、興奮を引っ張ってくるような、昨日のようやくの発見でした。

 ちなみにこの違和感を退治たところで、当選レベルに達するというわけではないじゃろう。
 もう一作!
  



    で、でけた、かも・・・  2004年10月02日    
  
◇長い闘いは、間もなく最終章。
 本日、「呪殺と暗殺のファンタジー」の長編の書き直し書き直し書き直しが、終了。
 いよいよ、明日より、提出原稿の印刷・確認となります。
 ああ長かった!
 ところで、結局題名は↑である。
 どうにか出来なかったのか!

◇10月10日くらいに送付できるだろうから、その後は以下の通りかと思う。
 12月末に向けて、中編の時代劇。とうとう5回目。いいかげんに諦めるかと思いきや、全然平気。
 それが完成すれば、再びファンタジー長編を攻める。
 あだちみつる漫画の人物がみんな同じだが筋が違うような感じで、人物名やら性格付けは同じ方向で。いちいち考えるのは面倒である。
 このファンタジーで当ること、というのが、今の目標。
 きっと、この二度目の長編ファンタジーの途中で、今のナツメグ+シフォンの結果が知れるので、そこで落ち込むなり、まあまあかと思うなり、何にせよ反映させることが出来るはず。

◇ちなみに、次の時代劇は鎌倉の承久の変か、南北朝騒乱で行きたい。
 どうしてか知らんが、毎年毎年、この年末時代劇に向けては知らない世界・人種の話を書こうと奮起して、挙句にスッテンコロリンするのである。
 その都度、中途半端に専門書が増えて行く。
 まあ、今はそういう頃だ。
 あちこち手を伸ばしてやろう。
 


  
    10月  2004年10月01日    
  
◇今日で社会人ばたらきが半年。
 半年の時、可惜、可惜。
 ……と書いて、あたら、という語を字引で見たら、
「他人事ながら、もったいないと思う情」などとあった。
 他人事?
 首を傾げて、広辞林を見たら、こちらは単純に「もったいない」とあって、
他人事とは言っていない。
 古語辞典。
 こちらも、他人事ながらとはなくて、惜しい、もったいない、残念、せっかくの……
などとある。
 言葉をよう知りもせで使っていた恥を知ったのは収穫なので、それは横に置いて、
「可惜」なる副詞……時間が惜しい、もったいない、という切実な感覚を、言ってみれば
そんな言葉ごときに集約してドブドブと流していたのではないかと、何だか不安になって、
それにこそ恥を知るべきだと、にわかに悟りが涌いた。

 ところで、あたらは「副詞」のようなのだが、この「副詞」ってのは。
 河合塾の大学入試用カタコト現代文テキストには副詞の解説は無くて、ただ、
「たいへん」「すぐ」「きっと」と例があるだけ。
 別に楽々と見分けがつくだろうし、たいして重要ではないと、そういうわけなのだろうが、
まず、「すぐ」というのは「直ぐ」で、形容言葉から転じているわけだし、
きっとは「キッと」というように、えっと、こういうのは何だ? ××と動く、というような……「と」いうようなト書きから来ているじゃろう。「たいへん」は、名詞じゃわいな。
 そうすると、副詞って、何?
 と、もちろんここにあれこれ日本語学の学者センセー達の議論はあるのだろうけど、そんなシカバネ連中の言葉などどうでもよくて、小説を書く上でいかに消化するか、ということが問題。
 もちろん、可惜、の使い方、わたくしの体内に溶け込ませる正確な意味が問題なわけで、あれれ、これだけ書いたのに結論には、
「モット多クヲ読メ」
 と、いつものやつが来た。



月末  2004年09月30日    
  
◇さあていよいよ10月。
 早っ!
 おっかしいなあ、すでに完成して、次の時代劇を描き始めている段のはずなのに。

 わたくし、どうやら、長編も短編と同じ作法でやろうとしているのが、今回の困難の原因というわけのようです。
 全体を完全に把握したのちにようやく全編が書ける……この方法は、果ての無いような大長編に挑もうとするときに困難となるだろう。連載なんて、出来なくなる。
 ……でも。
 わたくしの、全体を把握したのちにようやく小説になる、という作法。
 きっと今後もある点では逃れられないんだろうなあ……歴史長編は、問題ないかしら。
 未熟、のひとことかもしれない。

◇なお、本日のような、強い風と、青空に大きなちぎれ雲がたくさん浮んでいる、という空は、きっと多くの人がそうであるように、わたくしも大好きである。


 
  長編の訂正  2004年09月26日    
  
◇未経験の連続で疾走している気分なんだが、
 ほぼ完成稿だったものに、ゴッチャゴチャに書き込みが入って、
 ようやく結末までたどり着いたのだが、今度はこれをPCに入れるという実に面倒な作業が待っている。
 8月末締め切りを別の10月15日締め切りに変更したため「ああ、今度は余裕じゃ」なんて思っていたんだが、やれやれ、結局直前になってしまいそう。
 このPC入れしたものも、応募前の点検が必要となるわけで……果てないね。
  
  
  株安  2004年09月24日    
  
◇近ごろ株価がダラダラ下がっていて、なけなしの100株を売り払おうと思っても気分が乗らない。
 それとは別の話だが、このごろ、金というのは結局あぶくのようなもの、という本質があるように思われてならない。
 金は汗水たらして稼いでナンボのもの!
 間違いである。
 生活に必要なものは、汗水垂らして稼いでナンボのもの。
 そう言うならわかる。もしくは、
 本当に欲しいものを手に入れるためには、汗水垂らして稼いでナンボのもの。

◇金というやつは、本末を転倒させる。
 金があれば、欲しいものが買えるし旅行にも行ける……これを以て金が欲しいものやら旅行と等価になり、果ては、古本をゴッソリ買い込んで読みもしないのに読んだ気になるようなもので、金を稼ぐことが目的化してしまう。
 こうなると金というやつが実態を離れてあぶく化してゆく……という適当な議論は、意識がはっきりしている時に贅言へ。
 お金で買えない価値がある、とは言うが、「お金の価値」はいかが?
 この適当な議論、どうだ、YO、ニガー?

◇私の知人で最後の一文にピンと来た方がありましたら、ご連絡ください。
  


  
  余談ながら  2004年09月21日    
  
◇わりとどうでもいい話だが、
 私の、小学校以来の学習机の上に、ブルガリアで購入した卓上カレンダーがある。
 もちろんブルガリア言語でかかれているので、月〜日の並びらしき、
 n B C y n c H (ちょっと違うが)とキリル文字が踊っていても何曜日だかわからなくて、
 不便なこと甚だしい。
 さて、そのブルガリアカレンダーによると、明日は祝日。
 ネット検索をすると、独立記念日らしい。
 明日のあの国がどのように騒がしいのだろうかと考えると、ホームシックに苦しんだことも忘れて、再びふら〜ッと遊びに行ってみたくなる。
  

  昨日  2004年09月19日    
  
◇昨日は、昼間に中学の同級生と逢い、晩に大学文研連中と逢った。
 人嫌いなほどに引き篭もり気味のわたくしにしては、奇跡のような一日。

 本日も再び部屋に引き篭もって人に逢わずに過ごす。
 長編の読み返し。
 そろそろ全編が把握できたようで、ほとんど最終稿だとしていたものにやたらと書き込みが入る。
 「生きた人間」としての思考を見せなければおかしい……何度目かの読み返しでようやっとそれが見えてくる。
 情けない限り。
  


 
  またほとんど個人宛日記  2004年09月15日    
  
◇本日、社会人ばたらきから帰っても晩御飯が無いということなので、
 ユーストアで食糧を買い込もうと、意気込んで駅から自転車を回したところ、
 定休日。

 コラたかの!
  


  
  小説を書いていないとボ〜ッとしてしまって困ります  2004年09月14日    
  
◇BOOKOFFでドッサリと買って来た、まだ読みきれていない漫画が転がっているのだが……
 どうも、ボケボケとしてしまう。
 やれやれ。これじゃ変な病気のみたいだ。

◇本日は、久しぶりにガッツリと残暑にやられた。
  


 
 横溝正史1  2004年09月13日    
  
◇本日、初めて横溝正史を読んだ。
 江戸川乱歩と仲良しとあったが、文章も似た感じであった。
 短編をつまみ食いしただけだから何とも言われないが、文章も少々ゴテゴテしているし、筋もウムと唸らせるようなものではなかった。 
 ……が、非常に誘惑的な小説であって、文章から感じられる風格、といったものがある。
 どこをどう間違ってそれが現代作家において死滅したのか知らないけれど、まだまだ学びとらねばなるまいて。


◇ところで、たかの、絵はまだか?
  


 
  完成の翌日  2004年09月12日    
  
◇ええっと。
 「呪殺暗殺のファンタジー」の長編は、昨日、書ききれました。
 未経験の連続であったので、最後の一文それから(了)を入力しできたときには、
 でェきたァ!
 の叫び声を上げてしばらく寝転がってしまったほど。
 まだ、読み返しと評価受けという怖い作業が待っているが、ひとまず、ひとまず終了。
 めでたしめでたし。

 で、その翌日たる今日は、特に何をする気も起きず、ボケボケと、読みかけの、
 ギュンター・グラス「ブリキの太鼓」を読み終えた。
 こいつは、日本では大江さんが広めたらしいのだが、大江さん好みやな、と感じさせる作品でした。
 大江さんより毒を主題にしているような感じもあった。
 大江さんの方は、自己救済が根幹。
 ……ちなみに、どちらも好きじゃない。



 よし、明日、明後日・・・  2004年09月10日    
  
◇読み返し完了、つまり最終局面への助走が完了したということになります。
 シフォンにナツメグ、シロノワール、副官バンズ、ゲンドルフ・フォン・コンガリトースト。悪魔アイヴィやら警邏隊長ルイ・カプチノ。

 ……変な名前。
 



  今度こそ、今週末・・・  2004年09月09日    
  
◇さって、今週末こそ、どうやら本当に、長編の終章が出来ると思われます。
 この一週間は、順調に今までの分を読み返し+訂正をかませて、最後の山場は十六章の途中からになるのだが、読み返しが今日木曜日で十四章まで出来た。
 土曜、日曜に一気に書き上げる。
 ウムウム、可能だ、可能だ。



 たまには  2004年09月07日    
  
◇たまには小説以外の話題を書こうと思って、やっぱり無い、という結論。
 筆の実に荒いのが、読み返しをするうちに目につきはじめた。

◇このところ地震が続くものだから、
 「老翁夜話番外編 なまず大明神」
 なんて話を書き始めたが、時間がなくて続かなかった。
 老翁夜話に似たものなら、うまく行くと1時間で出来るので、近いうちに載せられるかもしれない。

 ずっと長編にかかりっきりだから、ネットにふさわしい短編・掌編を書いていない。
 別に多くは読まないだろうし大した練習にもならないぞ、とは思っても、せっかくだから小説更新をしたい。
 短編の濫作は、各作でその時々の自分が思い出せたりするし、一つのまとまりで上達の契機が見えるかもしれないわけで、放棄してたらいけない。
  



 ちなみに写真は今日の夕方の空  2004年09月06日    
  
◇昨夜の地震で寝不足だったが、何とか、今までの分の読み返しが終わった。
 身びいきでおもしろく、手前味噌で続きが気になる。



 唐突に大阪  2004年09月05日  
  
◇青春18切符を売り忘れていたための大阪。
 実は、小説の舞台たる千軒自由都市・常設市場の活気は、大阪道頓堀沿いだったりする。
 いやはや、たいそうな活気だった。
 お好み焼きを食べて、日本橋をうろついて、早々に帰った。
  

 今週末・・・  2004年09月04日    
  
◇本日書き進んだ勢いを考えれば、明日の完成は間違いないはずだったが、
 明日は急遽京都か大阪行を実行する運びとなりました。
 青春十八切符を売り忘れていたのです。
 というわけで、本日までで書き上げた分を印刷して(実に早いプリンターだ!)明日、列車内で恥じらいもなく読み返してみる。
 最後の戦闘描写を残して原稿用紙で310枚、印刷して京阪に持参するのは53枚、これだけでも大した厚さだ。
 余談を入れると全体で原稿用紙350枚ほどになるかと思われる。
 この全部が一つの話としてつながってるかと思うと、(そうでなくてはならないのだが……)我ながらすごいことだと感心する。

◇吉川先生だとか山岡の壮八ッつァんが書ききった大長編なんて、書いてるうちに何度も正月をまたいだわけだし、たかが半年書きつづけてこんなハイテンションになってるペーペーとしては、どんなやねんと恐ろしくなる。
 なるほど、山の高いのは登り甲斐というわけだ。
  


  
  今週末!  2004年09月03日    
  
◇さあて、いよいよ、とうとう、ハラハラ、今週末中に、
 「呪殺と暗殺のファンタジー(長編・仮題)」が書き上がりそうだ。
 いよいよ最終章の舞台へ登場人物一同を招待できた。
 この興奮であやまり堂日記の文章も浮ついている……おっと、これはいけない。
 深呼吸して、心を落ち着かせよう。
 さもなくばまともな小説は書けやしない。

◇朝晩の快適・涼しさったらない。
 眠気が強力で苦しい。
  



 9月  2004年09月02日    
  
◇あらもう9月だ。
 長編における最大の苦労は、人が増える分の、つじつま合わせ、というか、
 現実的な思考に基づく各人の展開だと只今、つくづく感じておる次第。
 主たるあらすじに絡めるために各登場人物をあれこれ行動させる。その行動の一つ一つに現実がついていなければならない。これが、今まで短編ばかりだったから大きに難しい。
 多人数が入り乱れる歴史小説を書きたいのだから、だいたいは筋からつくって行ったのが誤りだった、とは言えないが、何よりまずいのは、
 深く考えずにつくりはじめたこと。
 これに尽きる。

 今日は涼しかった。
  



連休おわり・台風  2004年08月30日    
  
◇明日から社会人ばたらきが復活してしまう。
 ナツメグが悪魔を復活させるより、遥かにタチが悪い。
 昨日、今日と、呪殺と暗殺のファンタジーが、クライマックスへ向けてワッショイ、ワッショイと進行している。といっても、二日間の作業の三分の二以上が、最初からの読み返しであって、実際に新展開が進んだのは、苦労の割に、少ない。様々こまかな設定、筋を変更してクライマックスへ向うように心配りをしたわけで、ワッショイ、ワッショイの興奮はなかなか好ましい。

 長編らしい長編が初めて書ききれるかもしれないってんで、とても興奮している今日この頃。明日以降の社会人ばたらき復活の妨害に負けずに、興奮を維持したいものである。
  



  ここ数日のこと  2004年08月27日    
  
◇ここ数日は、へばれけに酔って、映画6本。
 最初に見たのはたけしの座頭市で、まあ、悪くは無かったが……というところ。
 そして、時代劇を続けて、あずみ。
 「見どころは上戸あやの太ももだけ」というひどい評判通りの、本当に太ももを見る以外何の楽しみもない2時間。多少、映像技術がきれいだった程度。「ハリウッドが目をつけた監督」なんてあったが、要するに、ストーリィのひどい、配役は顔だけ、アクションはご都合主義、というハリウッドに近い存在だったということで、そこに近いなんてのはケナシ言葉である。
 それから陰陽師2。
 ……2本続けて、ひどすぎる時代劇。
 こちらは、主役野村萬斎が悪くないし敵役の中井貴一も良いのだが、ほかの総て、脚本、脇役(フカキョンとかアゴとか)、天国へ行こうなんていう発想、天国の映像、どれもひどかった。
 子供向けの戦隊ヒーローとか、仮面ライダーとか、その程度。

 (`Д´)ゴルァ!

 
◇その後、梟の城を見て生命力を取り戻し、さらに翌日(これは昨夜)、映画パトレイバー、東京ゴッドファーザーズ、アキラを見た。
 中でも、東京ゴッドファーザーズ。
 これは、良かった! 
 ホームレスが子供を拾う、なんて主題に、あまり魅力を感じなくて劇場公開時には見なかったが、見る価値は充分あった。まだご覧になってない方、見るべき一作です。

◇私の精神構造として外人の映画なんて見たくもないので、レンタルするなら和もの、となる。
 だけれど、実写映画の外れが多すぎる辺り、何歳になってもアニメ、アニメ、となっちまうのも、仕方ない。
    


  涼しい一日  2004年08月23日    
  
◇本日は雨降りだったが、夏の雨というより、湿気も少なくて秋の雨のよう。
 さて明日一日社会人ばたらきに出ると小説フィーバーとなる。
 まずプリンターを購入せう。
 まず「夢の白梅」の印刷、送付。
 しょぼい臭たっぷりの地方文学賞行である。
 賞はしょぼくても作品もしょぼけりゃ落選するわけで……どう読まれるんだろ?
 ほうなるほど……期待のワクワクには、不安やら落胆予想が含まれていると気付いた。
 だいぶ“落ち慣れ”してるのは情けないなあ。
  


  そして落選  2004年08月21日    
  
◇さすがに安易すぎたらしくて落選の報が来た。
 大学教員になる方法をあれこれ捜索していたが、なるためには、如何に足掻いても博士後期課程で重箱の隅学問を徹底しなくてはならないということが明瞭になり、そりゃ性に合わないと面倒くさくなっていたところなので、何だ大学院に行けないのか残念だなあ、と思うたのみで悔しくは無い。来年の四月に向けて再び、という気持ちにならなかった。
 負け惜しみだが、おめえは大学教員向けの時間つぶしより小説を書け、という占いであった。
 重箱の隅学問より、全学問分野の全体をつかみたい自分の性格、大学教員には向いてないといえるかも知れない。

◇8月末の富士見ファンタジア方面を考えていた小説。
 間に合いそうもないので、10月25日の集英社スーパーダッシュ文庫に応募すると決める。
 思い入れたっぷりで延々書いてきた長編だので、応募、落選、悲嘆、地獄、ということにならないよう、仕上げを入念に行うとしよう。
 まだ書き上げても無いのだが、これが落選したら……と思うと目茶目茶怖い今日この頃。
  


  このごろ  2004年08月20日    
  
◇寝不足なのかなあ、やけに苛々している。

 せっかくなので、本日読んだ醒睡笑の中の一節を提供。
 この笑いの形式は初見だった。

 いつまでも借金を返さない善道という者のところへ貸主が直談判。
「善道さんに、今日こそは金を返してもらいたい」
 主人出てきて、
「主人の善道、本日はは留守でございます」
「なにを、おめえがその善道じゃねえのか」
「さてあなたは、主人の善道が直接に逢って、留守だと言うのをお疑いなさるのか」
  



  梅暦  2004年08月19日    
  
◇読みきってふと確認すれば、現代語訳者は里見惇だった。
 一昨日「現代語役者の腕のせいか、古臭くなく」と言ったのは、さすが里見惇、という褒め言葉となった。
 だいたい学者の訳文というのは (・∀・)ウンコー というようなものなのだが、さすが里見惇だ。
 そもそも里見惇の文章、好きだ。

◇ちなみに下品な発現をしている顔文字↑は、ジサクジエンという名前がついているらしい。



 腹減った  2004年08月18日    
  
◇ひょんなことで、2chのアスキーアート大辞典を読みきってしまった。
 わっしょいシリーズがいい。
 せっかくなので、コピペする。

        今日の昼はおにぎりだけ!!
     \\  おにぎりワッショイ!! //
 +   + \\ おにぎりワッショイ!!/+
                            +
.   +   /■\ /■\  /■\  +
      (・∀・∩(・∀・∩)( ´ー` )
 +  (( (つ  ノ(つ  丿(つ   つ ))  +
       ヽ ( ノ ( ヽ ノ )  )  )
       (_)し' し (_) (_)_)


◇安易にコピペしたらズレルわズレルわ……一応訂正したのだが。
  



  春色梅暦  2004年08月17日    
  
◇吉川の先生が熱中していたなんていう文章を読んで以来ずっと読んでみたかった、為永春水「春色梅暦」を、現代語訳なんて無粋なやつだが、読んでいる。
 これが、実におもしろい。
 現代語訳者の腕のせいなのかもしれないが、古臭くなく、私の憧れる時代小説の色が見られる。 もっと早く読みたかった!

◇梅暦の書かれたのは天保。
 どうも、私、今までの歴史教育の毒牙部分に犯されていた面があるなあと気付いた。
 ……おっと、以下は論述文くさくなりそうだ。 そのうち贅言にまとめるとして簡単に……
 江戸の文藝というと近松井原なんて思うていたわけだが、元禄と天保じゃ150年は違う。
 その江戸末の文藝は、吉川の先生を始め、現代史の方々にスンナリ受け継がれていた。
 天保なんて、黒船はバンバン来てたわけで、ほとんど明治であるし、逆に明治天皇が即位されたのは江戸時代の慶応3年。 なるほど時代は断絶などしていない。
 江戸時代ブチ明治大正時代ブチ戦争期ブチ現代史なんていう観念、こいつをブチっと壊さなくては時代小説が書けないばかりか、国家観念を誤りそうだ。

 う〜ん、良書に出会えて、実に良い心持。
  


 オリムピツク関連  2004年08月16日    
  
◇本日追加してみた贅言、最初はここにこうして書いていたんですね。
 まあ、だから本日の日記は、希薄なまま終り。

◇小説、いよいよクライマックスへ向けて助走開始。
 山場での疾走に耐えられるだけの筆力が現段階であるかは、書いてみなけりゃわからない。
 ともかく、今までの作より断然おもしろいものになるのは確かで、成長の契機の一作。
 これが当選しなくても、まあ、今の才能の不足ゆえ、いっそう励めばよいだけ。
  



  お盆  2004年08月15日    
  
◇オリンピックの開会式にGeorge Michaelが登場するという情報があったので、
 ワクワクしながら開会式を延々眺めいたが、どうもガセだったようだ。
 無念。
 そして、柔道にフィーバー。
 野村さんの強いこと強いこと。
 決勝は相手の逃げ腰で一本勝ちできなかったが、見事、無類の強さ☆

◇本日は敗戦日。
 負けちまった日だが、それはもう何年前のことなんだろ。
 時代の善悪判断は蹴り飛ばしても、時の若人の気概、そいつは学ばねばなるまい。
 そんなことを思って、ドタドタと小説書き続ける。
 ほとんどインチキのような登場人物だが、作者としての意気込みは高いのである。  



まんぞくまんぞく  2004年08月11日    
  
◇さくさくさくさくと書いた。
 本日は社会人働き休み、暑かったが扇風機を中風にして焼けそうなPCに向かい続けた。
 これで、第2期中断前までの分がすべて改編された。
 あとは、下書きがほとんど役立たずになるから、たいへんであるが、自由である。

 何が必要な描写で、何が不要な描写か、それが三度読み返すうちにふと見える時がある。
 これは、本当にうれしい。
 このことが、書きながら判るようになれば、飯が食えるようになるに違いない。
 当面の大目標は、従って、原稿用紙に手で書き得る実力養成、ということだ。

 さてさて締切は8月末。
 間に合うのかしら?

◇ともかく、これを書き上げたら、先生(吉川英治)作品の書き写しを実施せう。
  


  
  さあ出願  2004年08月05日    
  
◇本日は、切手を貼った。
 そしてこれから郵便局へ出向く。
  

 
  書類整う  2004年08月04日    
  
◇さあいよいよ締切直前となり、書類も一式整いました……あと切手。
 何はともあれ金曜消印やから、大丈夫やね。
 ああ、受かってくれよと切に祈る。

◇吉川英治全集のうちで只今短編を幾つも読んでいる。
 で、短編の見事なドンデン返しもいいが、それでも長めの話の方が、主人公らに読者としても思い入れが出来るので、おもしろさ、感動が増す。
 長編とはそうやって、感動を高める、というものなんやと、実感。
 それにしても、ほんの掌編でもああも見事に人物が“生きている”ってのは、いやはや、まだまだ学び取らねばならん御作の奥深さ。

 天気予報では雨だ雨だといわれつづけているのに一向に。
 駅まで自転車ではなく車での送迎になるのだが、晴れた中の車では申し訳ない。
 と鼻をひくつかせれば、ほこりくさい雨のにおい。
  



  うはうは  2004年08月03日    
  
◇今日一日の獲物は、マクロスプラスに∀ガンダム。
 どちらもおもしろい映画やったよ。
 今度はパトレイバー1、2、3を観よう。

 ほかに何だろう?

◇本日、やたらと疲労が感じられる。まだ火曜だというのに。

◇ワンピース34巻。久しぶりに何度も読み返した。
 これを読んでしまったら、思い通りに生きていない自分がみっともない物体に思われてくる。
  
 



 とくになし  2004年08月02日    
  
◇書類準備。
 研究計画書再考、失敗が許されぬゆえ鉛筆で下書き。

 台風のおかげで、この近辺は昨日から涼しい。
  



  入試書類準備  2004年08月01日    
  
◇いやはや、大学のレポートといえば、パソコンの横書き、とこの頃では相場が決まっていると思いきや、高野山大学大学院では、手書きの縦書き、さらに専用の原稿用紙と来ているので、実に恰好いい。
 素敵なことだが、いかんせん、夏の盛りにボールペンを握って原稿に向うってんだから、汗がポタリと落ちそうになるわ、尻はジメジメ暑いわで、たいへんだ。 そりゃ、高野山山上では涼しいかもしれん……なんて思うたわけだが、台風のおかげで風が吹いて涼しい一日。サクサクとPCの文字群を清書できた。
 今週金曜が締切だので、写真もまだ撮ってないし、なかなか忙しい。

 あやまり堂日記やら掲示板に載せたからには結果も書かにゃなるまいと思うているわけだが、ああ、これで落選したら嫌だなあ。 文学賞の応募より、検定料がかかる上、合格するさの念が強いから、これで落ちたら本当、厭だなあ。
 



月末  2004年07月30日    
  
◇ああ7月が終わる……論文書かなきゃ小説書かなきゃ。
 それなのにまた一人旅行行きたい、でも暑いから本当に行くことはない。

 そんな愚痴をここに殴りつける前に、小説書きませんとね。
 そうそう、A列車で行こう4、インストールしちゃいました。
 てへへ。 
  



  夕立  2004年07月28日    
  
◇ちょうど駅から自転車を走らせたところで降られて濡れた。
 雷がドッカンドッカン言って、中部電力の緊急車両がサイレンを鳴らしながら疾走していた。
 どこかに落ちたらしい。

 ぐしょぐしょで帰宅した頃には雨あがる。
 まあ、平凡なことでござんす。
  



  千字  2004年07月27日    
  
◇論述は書いたが、ほかに「研究計画書」を書かねばならない。
 と、ネット検索でその道のプロを求めたら、例のごとくいて、フムフム読んで、
 ややっこれは大変だ、と不安になった。
 何でも、研究計画書が入試を左右すると言っても過言ではない、とか。
 で、慌てて募集要項にくっついていた、所定の計画書用紙を見たら、
 24字×24字が裏表。
 しかも、「足りない場合は裏面に書くこと」とあるからには、表だけでも良いのだろう。
 多めに考えて、千字。
 さて、いかに書こうか、明日、じっくりと考えるべい。

 今日は暑うござったね。
  



  某リスト  2004年07月26日    
  
◇本日で、某小説・随筆リストが十作品を数えることができました。
 とはいえ、文研サイズで200頁というものから、わずか2頁というものまであったので、
 十作品でどのくらいの読書量になったのか、イマイチわかりません。
 
 これが何のリストかは、ここでは申し上げにくいので、直接聞いてください。

 ところで、私の日記文体は、本当に、コロコロ変ってるのがおわかりになるでしょう。
 あと、日常生活の一人称も、俺、わし、おいら、僕、あたし、ともかく一定しない。
 ことの善悪はともかく、そういう精神分裂者的な私ということ、まあ、ご理解ください。
 理解してもらったところで、何と言うこともない。
  



  このくらい  2004年07月25日    
  
◇夏って、このくらいやなかったっけ?
 暑いことは暑いが、まあ日蔭に入ったり風が吹いたりすると、まず汗のために涼しいと感じることの出来るくらい。
 さて一方「密教と日本文化」の論述は、まあ良いな、という水準でPC書き出来たので、それを読み返して、テクテク手書きで原稿用紙に写すのみ。
 今時手書きかいな……と思うが、まあ高野山大学だから、と納得できて気分いい。
「ファンタジー」の改編はまことにサクサク気分よく、また物語のおもしろさもだいぶ増した気がする。こうなると結びが予定と大きく変ることになるだろうが、まず自分が満足行く水準のおもしろさを追求したい。

◇それから、「英雄」を、土曜日の学習成果を踏まえ、見ることができました。
 ありがとうございます。てへへ。
  



  時代ってやつは  2004年07月23日    
  
◇今日ひさしぶりにモーニング娘をTVで見たが……もう、無理ですね。
 作詞作曲者の能力不足ということが根本原因なのかもしれないのだが、
 もう勢いというか、以前の、時代を背に負っていたような輝きが感じられない。
 せっかくの良い試みだったと思うのに可惜。
 ただ浮薄にすぎたのみか。

◇さて、私ごとでは、密教論述が完成しませんでした。
 明日の午前中で完成させるぞ今度こそ。
 そして午後には、久しぶりに大学友人の集合がある……誰が来るのだろう。
 この日記を見物しているそこのあなたも参加者かしら否かしら。
  



  ところで日記にタイトルって無用ですよね。  2004年07月22日    
  
◇今日は、通勤の大事な先生である水滸伝を家に置きっぱなしにしてしまって、ああ何てこった! と思ったけれど、副担任の陶淵明全集のお世話で無事一日を乗り越えた。
 さてそれから、今日からとうとう「弘法大師と日本文化」論述開始。
 5000文字弱だから、原稿用紙でいうと12枚くらいで、部活で書いていた小説規格でいうと、5枚くらい。
 恐れる必要のない量だったのかもしれない。
 さてさて、論述は明日で書きあがるに違いないから、週末からは、いよいよファンタジー再開。
 今までコツコツ書いてきたシフォン+ナツメグを、思いきり改編して「おもしろい展開」をこしらえなくてはならない。
 成功するかは不明。
 だが、まあ、「おもしろくする!」という大衆小説の根本を、何だろう、気付かせてくれたなんていうと、当然のことなんだからおかしな謂になってしまうが、実感させてくれた(かもしれない)このひと月ほどであった。
 ひょっとして、このファンタジーが成功すると、名前を山口二十四にするので、今後ともよろしくお願いいたします。
  


  いやあ、まあ、本当に。  2004年07月20日  
  
◇東京では39.5度?
 クーラーが余計に世界を暑くしているようですな。

◇さて、本日から、吉川先生の「水滸伝」を始めまして、いやあ、もう、えっへっへ、たまりません。
 レポートにファンタジーを書かねば間に合わなくなりそうだのに、この暑さが逃げ口上になって、さらに先生の小説の愉快がすべてを吹き飛ばす。
 さて、明日も読むわけだが、いよいよ書くぞ!
  



  読了  2004年07月19日    
  
◇読み終わった。
 わざとらしく付箋をかまして、読んだあかしを残してみる。
 これで小レポート「密教と日本文化」を書いたら、あとは小説に戻れる。

◇しばらく小説から離れていたら、シフォン+ナツメグの長編の欠点がありありと見えてきた。
 思い切り書き換えると、八月のファンタジー締切に間に合わぬかも知れぬが、
 まあ、思い切り書き直して、おもしろい話にしなくては、自分が満足できぬゆえ、
 やってみるさ。

 それにしても、暑い……
 本日も、スターバクスに持ち込みをして、満員だと言うのに、延々と読書をさせていただいた。
 ありがたや、ありがたや。
  



  スチームボーイ  2004年07月18日    
  
◇本日観た。
 アキラの、後遺症になるくらいのインパクトを予想していたから物足りなくはあったが、
 それでも、たいそうな娯楽大作。
 いい映画だった。
  

 
  灼熱  2004年07月15日    
  
◇本日は、社会人ばたらきを休んで、床屋へも行き、あれこれ用足しをした。
 といっても午前中で用事は終り、午後は、読書、といっても家ではやたら暑いので、
 近くのショッピングセンターへ本を持ち込み、そこで半日の読書を満喫。
 この試み、これが大成功。
 だいたい読書なんてのは、よほど楽しい小説ならともかく、何時間も集注して読むことなんて
出来ないで、せいぜい学術書なんて1時間。
 それからショッピングセンターのテーブル、椅子に何時間も陣取っているのは気が引けるので
これまたせいぜい1時間。
 それで途中で立ち上がって散歩に出るのだが、ショッピセンタには散歩先たる本屋やCD屋もある。
 気分転換を果たした後は、もとの位置でまた1時間。
 今度はスターバックスへ行き、コーシーを飲みながら(これで眠気覚ましになる)1時間。
 また戻って1時間。

 ああ、満足の読書日よりでした。

・まあ、ショッピングセンター内、ギャアギャアうるさいのは仕方ない、
 だがむしろ、図書館の静寂の中、突然ペロペロと携帯が騒いだり、小さくない小声会話を聞かされたりするよりは、(飛行機内の轟音が却って眠くなるようなもので)よほど良かったりする。

 それにしても、暑いのう! 毎年思うが……「去年て、こんなに暑かったか?」
  



 離人症について  2004年07月13日  
  
◇離人症。
 精神病患者は、これが不思議なことに精神病に関する知識が深いとか。
 そのくせ自分がそれであるとは気付いていないことが多いらしい。
 さてあたくしは、どうも精神病の入口たる離人症を患っているようで、これは自慢でもなんでもない、むしろあたくしの親しい辺に、どうか逃げないで下さいと言いたい。
 それはともかく。
 本日ようやくホームページに小説を載せました。
 「離人症小説」を書こうとして果たせず、お笑いだか何だかわからないやつになった掌編。
 「離人症小説」は断念していないので、そのうち披露できるやもしれぬ、「私」とそれに対する「シャドウ」という、日野啓三の技法で、これを最初に読んだときは驚いたし、感動した。
 まだ読んでいなくて、文学を志す方がありましたら是非とも読んだがいい。
 でもあの重みが読み進められないかもしれないので、ええ、理解できなきゃ才能の欠如だと認めて一層励んでください。あたくしの凡母は読めなかったようだ。

◇上記の支離滅裂は、別に離人症者のあかしではござらん、ただの悪文です。
  



  気候  2004年07月12日  
  
◇本日は、わりと過ごしやすかった気がする。
 この頃じゃ昼間暑いからといって夜に蝉が鳴くのだが、今日は昼間鳴いていた。
 それでも暑い、夏は好かん。
 読書に適する秋〜冬が自分の季節という感じがするのは、自分が9月生まれというのと関係あるかもしれん、ないかもしれん。
 冬の読書は本を持つ手が凍えるが、手袋でもすればよい。
 しかし夏の読書は、椅子に座ると背がジメジメしてくるし尻も熱くなる、寝転がると腹に汗がたまる。実にいやなもの。
◇とはいえ天道を恨むも阿呆である、せいぜい寝返りを打ちながら読むしかない。

◇今日は実に日記らしくない。
  



  選挙速報  2004年07月11日  
  
◇いらぬ議論はいやなので、あらかじめ書きますと、自民に投票いたしました。
 「マニュフェスト」なるゴミ語の流行を招いた民主やら、顔の気持ち悪い党首の共産やら、
 中学生こと社民党などを消去したらそれしか無いという理由です。
 阿川先生のご意見を聞いた結果でもあります。
◇“そんなことより”今日は、新庄のホームスチールだとか、横綱朝青龍の豪快な相撲だとか、
 実に素敵なニュースがあったのに、選挙速報なる競馬中継でモヤモヤにしてしまう。
 新庄のホームスチール、セーフ! やった、やった!
 という歓喜を見たかい、みなさん。
 横綱が完全にひっくり返ってもなお“裏”から相手を押し付け(どんな威力だ)、
 同体に持ち込んで取り直し、豪快な切り返し! 見ましたか?

◇選挙速報の競馬中継は、まだ、いい。
 各馬が競っているのを見るのは楽しいものである。
 しかし、あしたの新聞に、
 「いっそうの二大政党制へ」「民主躍進」
 なんて文字が躍るに違いないのが今から不快である。
 うちで取っている「地域の折込広告のためには購読するしかない新聞」通称中日新聞にも
 間違いなく踊るであろう。
 そしてそこに下種な解説が乱舞するであろう。

◇けッ、わかってら、おいらは見ないように頑張るだけさ。
 



  伊勢戦国時代村  2004年07月10日  
  
◇所用で「伊勢戦国時代村」へ行った。
 今じゃEDO WONDERLANDというらしいが、土曜だってのにガラガラだった。
 まあ、天気がひどかったからというのもある。

◇さて時代劇ファンである私、前々からものすごく行きたかった時代村なのだが、
 哀れを感じ同時に憤りを感じた。
 何がかといえば、器、根本の発想は悪くないと思われるのに、
 あらゆるところで「寒さ」が発現してい、せっかくの村がむなしくなっていたことである。
「俺に経営改善策を話させろ!」
 お偉方をひっつかまえて、そのように直談判したくなったほど。

・田舎の、頭の固い、「自分が柔軟でハイカラだと思いたいオッサン」が経営改革を実施して、
 こうなりました、というような時代村。
 キャラクターの「にゃんまげ」だって、顔だとかキーホルダーになった姿は愛嬌があるのに、
 着ぐるみになると、「近藤産興からレンタルしたネコの着ぐるみにちょんまげをつけた」と、
 あわれなくらい「本性」が見えてしまっている。

・スタッフが着物姿で歩き回るのは良いのだが、どうもそれが、
 「あ、次はあそこで仕事をしなくちゃいけないから、急ぎ足で移動する!」
 という背後が、見え見えである。もしくは、ひまな時間の「仲間内ダベリ」をしている。
 ダベリの会話もせめて昔語にすればよいじゃないか、侍姿と町人姿がタメ口をききあうな!
 わずかに感心したのは、黙々と草刈などをする作業員が農夫姿だったことくらい。

・あと、客が少ないくせに食べ物飲み物が高い。
 しかも「お〜いお茶」「コカコーラ」など市販ペットボトル250円である。なめとんのか。
 さらに言うと、にゃんまげ人形のつくりが昨今のクレーンゲーム人形よりしょぼい。
 made in chinaのタグは我慢するとしても、ダイソーかよこれは! というような出来。

・それからそれから、悪くはないのだが、客寄せの第一である演劇がどうも、
 「悪くない」だけでは困る。
 ひょっとして、一年中同じ劇なのかもしれないと思わせたが、どうなのだろう。
 役者から(そりゃ文句のない、まともな演技をしていたけれど)に、
 倦怠のというか「油断」が感じ取れた。
 ほとんど、ミスをしなきゃ日々安泰である下級公務員である。役者も育たんぞ。
・客寄せには例えばジェットコースターでもつくるべきなのだろうが、
 借金でそれをこしらえることも出来ないほど、ひどい経営状況なのだろう。
 だったら、「祭」でもを打ち出して入場料をグンと下げ(そもそも4千円には見合わない)、
 従業員(村人)全員で、やってきた客(一人だろうが、それを数十人で取り巻いて神輿にしちまえばよい)と大フィーバーする、
 このあたりから出直すしかないじゃないか。

 まばらに村人がテクテク歩いていても客も少ないのだからさびしく、どこかで従業員(村民)の密度を上げなきゃ、むなしいだけだ。
 それから、劇でのお奉行様が一人でスタスタ出歩かれるのも感心しない、お供はどこだ!
 演劇の数を減らしてもいいから、たとえば村中を「かわら版売り」が駆け回って、
「てえへんだてえへんだ、次はどこそこでお姫様がさらわれるってんだ、それを救出に向う若侍の剣が光る、さあ時間が無いよ〜!」
 なんて、適当に活気をつくるべし。
 それにから、いきなり町で辻斬りが発生したらいいじゃないか。
 忍者が「場外乱闘」をくりひろげ、消え去った後をかわら版売りが、
「続きは大忍者劇場みたいだ。さあさあ見逃せないよ!」と触れ回る。

 ともかく「密度」だ「活気」だ。
 安土桃山〜江戸の町人街の再現なのだから、それがすべてなのじゃないのか。
 それなのに、「江戸ワンダーランド」の経営母体であるナントカという会社のHPを眺めてやったら、「入場者数の減少が続いており、コスト削減の徹底を図り」なんてことを抜かしておった。
 コスト削減? は? やっぱり「柔軟で新しい知識を(アメリカのそれ)吸収したと考思いたい田舎のオッサン」じゃねえか。
 だったら定冠詞付きのコスト大王であるテーマパークなんてやめるべし。

・ええい、くそ、ムカムカする。
 この大時代劇ファンの私を、時代村発展評議員に加えてくれ。もちろん無給だ。
 私はウムと感心する時代劇が見たいだけだ。
◇ええいおのれ、私の大好きな時代劇をつぶすのは、むしろこういう半端な時代劇じゃねえか。
  



  「仏教通史」読了  2004年07月07日  
  
◇読了。
 教理の発展の薄い室町以降は、サラサラ眺めるにとどめ、多少、僧侶伝を興味深く読む程度で済ませた。
 めでたく「今週のうちに『仏教通史」を読みきる」という目標は達せられた、
 金曜・土曜と、些事にて時間を失することになるので、この目標達成はめでたい。
 明日以降『弘法大師と日本文化』に取りかかれる。

 昨日、室町〜戦国期の仏教界を見たわけだが、蓮如がすべてである気がする。
 つまり、蓮如は「大衆が欲する教え」を与えられたわけだが、
 果たしてこれを「大衆迎合」と言うか「救済」と言うか。
 いずれにせよ、江戸以降の宗教観を決したと言える。
◇また、江戸期の興味深い事跡。
 比叡山に妙立、霊空という坊さんがあった。これが起こした「安楽律」の運動。
 「伝教大師最澄の行った戒律は、今の我々には厳しすぎる。かといって、自堕落に過ごしてよいものではない。せめて、今の我々でも可能な戒律を!」という運動。
 どうも、何でもかんでも小説書きの理想論に通じさせてしまう僕のクセがあるので、こういうのは特記したくなる。
  



 喪失もしくは滅失  2004年07月05日  
  
◇今日と言う日の喪失について愚痴を書いたって仕方ない。
 慎もう、慎もうと思っても、少しくらいは書きたくもなる。
 
 さて鎌倉仏教に入った。
 なまかじりだった部分が書見を通じて肉付けされてゆく愉悦。
 また、
 「厭離穢土、欣求浄土」
 という言葉が慕われる。

 通史を見ることにより、教義の理解がだいぶ助けられる感。
 法然の念仏教義がどうして叡山、天台つまり密教の方面から出たかといった大きな疑問が、
 氷解とまでは行くものではないが、氷の純度が上がって中がぼんやり見えてきた感。
 しかしまだ判らない箇所は多い、教義は深遠、うっしっし。

◇それにしても……。
 生い立ちからの自分の性格と行状を思い出すと、
 仏教への興味、それを通り越しての帰心という現在に来たっているってのは、
 実に、おもしろおかしなものに思われる。
  



  丹下左膳  2004年07月04日    
  
◇日本の歴史15巻「織豊政権と江戸幕府」読了。
 大学二年の半ばから、かれこれ、三年くらいかかって江戸時代に入れた。
 そして「仏教通史」は半分。
 余裕が無いので、一週間の電車で読破しなくてはならない。

◇こんな感じで、実にたのしく満足できた一日であった。
 明日からまた不快と喪失の時を迎える。

◇そうそう、中村獅童の丹下左膳、かンなり良い出来だった。
 原作の筋が良いということもあるが、獅童の着物姿、殺陣、文句なし。
 また、ともさかりえのお藤。
 え、ともさかりえ? と首を傾げるほど、抜群というほどではないけれど、板についていた。
 昔の大河内伝次郎を知らない身には、
 年寄どもの「全然及ばないよ」
 なんていう苦情はまったく通じない。
 久しぶりに、ええ時代劇をTVから吸収できて、実にうれしい。
  


  いどめ密教  2004年07月03日  
  
◇今日は、人生を取り返したような感じで過ごせた。
 そして、「密教と日本文化」のための書物も買えた。
 これを読み、そしてレポートを書かねばならない。
 必ず、後期入学を果たしてやる。

 ところで、さっそく読み始めているわけだが、
「ああ、俺の人生」
 という随喜が体を巡った。
 畜生め、十年の辛抱、耐えてやろうじゃねえか。
  



  翌日午前  2004年07月02日  
  
昨日は何をしたっけ?
いや、別になにも。。。
そんな感じで日々を喪失して行く。
ひでえ話だ、早く密教本を買おう、読もう☆
  

  
  あやまり堂日記  2004年07月01日    
  
“仕事の楽しさ”がわかるにつれ、
いよいよ仕事がいやになる。
金のため賤業に堕すも厭わじ、
そういう心境には、到底なれそうにない。
また、
ノルマ達成、仕事た〜のしい!
などになれるわけがない。

あやまり堂、本日公開始め。
といっても日記なんぞを大々的にする必要もない、
友人が使ってるのを見て欲しくなったからには、
こちらも真似してリンクを隠してみる。
  



ボーナス  2004年06月30日    
  
◇ 人が活発に使っているのを見たらどうしても欲しくなったので、つくってみた。
 まず第一日目。
 本日はボーナスだが、ちっとも嬉しくない。
 働き始め早々ゆえ金額が少ないわけだが、それを少ないとも感じず、それ以前の問題として、
 「こんな日々で金を貰ってもねえ」
 と理性が悲鳴を上げている。
◇ 恩師浜名先生が、「君が大学院で勉強する方が向いていること、わかっていました」と。
 まことに面目なく思われる。
  


みなみやま入口